| #48 レウとワルジャーク(1)
 それからしばらく、「蒼いそよ風」のうち、城務に徹するレルリラ姫以外の消息が途絶えた。
 総大司教ヌヌセちゃんの行方も不明となった。
 
 聖騎士団のアッカ隊長は彼らの居場所を知っているようだったが、詳しくは語らなかった。
 
 ルンドラのディンキャッスルではそれから、下界防衛隊とワルジャロンド軍の戦いが長くの間、続いていた。
 
 下界各地からこの危機を対処せんと集まった下界の精鋭たちに対し、ワルジャロンドにも新たに魔王や魔族たちが集っていたのである。
 それというのも、魔王たちの王である邪雷王シーザーハルトの復活に伴うプロジェクトがディンキャッスル領主特務塔で行われている、という情報が広まったためであった。
 
 新規参戦する魔王や魔族たちの主目的は今後見込まれる邪雷王シーザーハルト復活であり、その復活を助け、祝い、自らに有利な立場や力を与えられることであった。
 
 そのような実力ある魔王や魔族たちは邪雷王シーザーハルト復活が行われている領主特務塔の防戦に徹する者が多く、一方の、ディンキャッスル主塔のワルジャーク自体の防衛は、従来よりの戦力ばかりだった。
 
 一方の下界防衛隊の戦力も充実していたし、ウイングラード聖騎士団、七人の聖騎士も全員が揃っていた。
 アッカ、キャロット、レックス、オーサ、マッツ、モルテン、ダルフィン。
 あぶらあげにされて捕らわれていた聖騎士オーサとマッツも解放され、騎兵から聖騎士への昇格を果たしたモルテンとダルフィンも初めての聖騎士集結に参じたのだ。
 
 さらにはロンドロンドよりやってきたバッキングミ神宮殿の高位の神職たちや、ルンドラ島外の各地の冒険者ギルドが遠征予算補助を行い協賛する「GO TO ディンキャッスル」キャンペーンでやってきた腕利きの冒険者たち、そして四年ごとに行われているドカニアルド武闘大会の最新ベスト8からも戦傷のヘルメスは来れないもののその他の四人が参戦するなど、多くの強力なメンバーが集結していたが、彼らも次々と消耗して戦場から撤退したり失われたりもしていった。
 
 こうして、両軍の疲弊は深まってゆく。
 
 ワルジャークはしびれを切らした。
 自主的に邪雷王復活の場を守るだけの魔王達では、根本的にワルジャークの玉座の防衛にはあまり役に立たないのだ。
 
 ワルジャークは、やむを得ず停戦状態だったノリコッチの防衛線からイズヴォロを撤退させてルンドラに召喚していた。明日にはやって来るだろう。
 
 つまり、ウイングラード本島からはワルジャロンド勢力はすべて撤退し、残る拠点はルンドラ島・ディンキャッスルだけとなっていたのだ。
 
 互いにそんな総力戦をしばらく続けたのち、互いに目に見えて数が減り、残るは精鋭ばかり。
 
 もはや名のない兵たちはほぼ、リタイアしている。
 十数日も経った頃には、そんな状況になっていた。
 
 気付けば二月が終わり、三月もすでに二週目になっていた。
 
 ◆  ◆  ◆
 
 そんな日の、夜遅く。
 
 大方の兵がいなくなってしまったディンキャッスルの自室の前のベランダで、ワルジャークは三日月を見上げていた。
 
 びゅう、とどこか挑戦的な夜風が吹く。
 ワルジャークの知ったような、躍動感のある風だ。
 
 「…神風のケンヤ…。
 ロンドロンドだろうか…、どこか遠くで修行を終えたようだな…」
 
 という言葉が出て、はっとする。
 なぜそう思うのか、自分でもわからないが、ワルジャークは自分がそんな確信をしたことに気付いた。
 
 ここルンドラにおける、精鋭ばかりになった戦況は、随分落ち着いていた。復活が見込まれる邪雷王から好感度を稼ぎたいだけの魔王・魔族たちも夜になったら帰ってしまう。
 領主フェオダールや巨魔導鬼ソーンピリオも別塔である領主特務塔で休みについているだろう。
 
 「ライトは…ちゃんとバランスの取れた食事を取れているだろうか…。夜中に変な間食をとってしまっていないだろうか…。
 ヒュペリオンは…いつまでたっても帰ってこないな…」
 
 ひとり、遠い目をした砕帝王将ワルジャークの脳裏には様々な言葉が巡り、ぶつぶつと呟きが発生してしまう。
 一度にライトが去り、ヒュペリオンも行方不明になってしまって、ワルジャークは寂しそうである。
 
 ずっと我が子同然に育ててきたライト。
 長年最大の理解者として昼夜を問わず連れ添ってくれたヒュペリオン。
 
 「ヒュペリオンさんはきっともう帰ってこれないっスよ」
 
 そう言いながら、ベランダの上から何かを持って白狐帝レウが訪ねてきた。
 
 ひゅっ、と細い身体で着地する。元々きつねなので身軽なものだ。
 レウは人間の姿を取り戻してしばらく経ち、すっかり本調子を取り戻していた。
 
 「…ドアから入ってくればよいものを」
 「へへっ、こんな夜中にひとりでドアから入るところを誰かに見られたら、完全に夜這いに思われちゃうじゃないスか」
 「夜這いだしな」
 「なんスかぁ? からかってるんスかぁ?
 …そうなんスかねえ、まあ夜這いなのかもっスね。なんか、ワルジャークさんのエロい顔でも見ようかなって思ったんで」
 「そうか…ゆっくりして見ていけ」
 
 ワルジャークは、エロい顔と言われたことを否定せずにベランダから室内に入り、レウを招いて窓とカーテンを閉めると、自室の玉座に座った。
 
 レウは閉められたカーテンを見て何かに期待してすこし尻尾を振ってしまったので、それを見られてしまっただろうか…と若干どきどきしながら、何かを持ってワルジャークに近寄った。
 今では『ワルジャークの四本足』もレウだけになり、ワルジャークとレウの関係性もずいぶん深まっていた。
 
 「ヒュペリオンさんがいた頃は…、夜は、いつもワルジャークさん、ヒュペリオンさんと一緒でしたしね。今はオレがワルジャークさんの一番の腹心になったんだから、ヒュペリオンのやってきたことは、何でもやりたいっスよ」
 
 「何でも? それは…どういう意味で言っているか自分で理解して言っているのか?」
 「そこんとこは、勝手に察してくれて構わないんスよ?」
 「ほう…? 本当に?」
 「そうっスよ? まあヒュペリオンさんのかわりに来てるんじゃなくて、オレはオレの意思で今この部屋に来てるってことは、…汲んでほしいっスけどね」
 「それは勿論だ。だが…驚いたな…。…何でもと、言ったのか?」
 「ええ…言ったっスねえ…。なんでそこ繰り返すんスかぁ? もう」
 「ああ…いや…これは…どうしたものかと…」
 
 寄り添うと、自動的に互いのシャンプーの香りを分かり合えたりもする必然がもたらされるものだなと、会話をしながら両者がそれぞれ思ったりもする。
 もう、もしかしたら、そういう流れになってきているのかもしれないと感じられる。
 
 「ヒュペリオンさんとはオレ…馬は合わなかったけど、仲間だったから。
 きっと封印されちゃったんだろうけど、悔しいっスよ。
 結局オレたち…ヌヌセ総大司教をずっと見つけられず、『やれなかった』のは痛かったっスね。総大司教は魔王を封じる力を持ってるんでしょ?
 それに、御雷のガンマもディルガインさんを封じることが出来た…。ライトのやつもきつねのオレを封印してみせたし、封印魔法も習得している。
 そんなふうに、魔王の封印が出来る奴らと戦ってるんスから、ヒュペリオンさんの行方が知れないのは、おそらく封印されたとみてほぼ間違いないっスね」
 
 それを聞いて寂しそうな顔をするワルジャークの顔を見てレウは、あやすようににこっとした。
 
 「ワルジャークさん、ほら、ライトが幼いころに遊んでいた三輪車が裏の物置からでてきたんっスよ」
 
 レウが持ってきた古くなった三輪車には、お菓子の付録のシールがぺたぺた貼られたりしている。
 
 「幼いころのライトはよくそれで、そこらじゅうを漕ぎまわっていたな。…なんでそんな物を持ってきた…?」
 
 「ほら、ちょっと優しい目になったっスよいま。ちょっとワルジャークさんのそういう目を見てみたくなったんスよ」
 
 「…そこの邪悪なカレンダーの下あたりに置いておいてくれ」
 
 カレンダーの三月の標語に、「『ダメ』はNOだが、『ほんとはダメ』はYESである」と書いてある。なんて邪悪なカレンダーなのだろう。
 そうなのか、と思いながらレウは、その下に三輪車を置いた。
 
 「ライトのやつ、こないだまでほんの赤ん坊だったのに…巣立っちゃうもんスねえ…。
 まあ、だからこそオレは許してないんスけどね…。だからオレはこいつを見つけて蹴飛ばしたくなったんスけど…ワルジャークさんがこれを見たら、そんなふうに和んでくれるのもなんかわかるから、持ってきたんス」
 
 「レウは、優しいきつねだな」
 そう言われて、すこしレウの頬が赤くなり、照れたのがわかる。
 
 「オレ、いま、ほんとは寂しいきつねなんスよ。寂しくて寂しくて…。それで腹が立つんス。
 …なんてね。
 …ウソっスよ。
 ワルジャークさんが邪雷王シーザーハルト様を復活させようと苦心してくれているお礼っスからね」
 
 「…レウは…わが師シーザーハルトが復活しても私の配下でいてくれるのか?」
 
 それを聞くとレウの表情がなんだか明るくなった。
 
 「はあ…人員いないっスからね…。まあ裏切らないで同じ組織でやってくれるんなら、考えとくっスよ。つきあい長いっスからね。
 その時にオレがワルジャークさんの配下になるか、それともワルジャークさんと同格になってるかはわかんないスけどね。
 そこんとこは基本、邪雷王様の指示が最優先っスけど、それに準じてなら、ぜひこれからも一緒にやってもいいっスね。
 まあ、ワルジャークさんがどんだけヒュペリオンさんという片腕に頼ってきたかは、オレずっと見てたっスからね。四本足の一足なのに片腕っていうのも変っスけど…
 オレもう負けないっスから。あんなガキたちに。
 あんな風帝のなりそこないとその仲間たちなんかぶっつぶして、一緒に邪雷王様のために頑張るんスよ、ワルジャークさん」
 
 「…一緒にか…」
 と言ってからワルジャークはレウの手を取った。
 「レウ、聞いてくれ」
 
 聞いてくれと言われたので、レウの耳がふわりと立ち上がった。
 
 「…これは完全にわたしの推測なのだが、おそらく明日にもディンキャッスルは、蒼いそよ風の襲撃を受ける」
 「…推測にしても…根拠はあるんスか?」
 
 「そう確信するに足る『その風』に、さきほど包まれた」
 
 「…神風のケンヤ…、戻ってきたのか…」
 「大きな決戦となるだろう」
 
 「マジっすか…。いや、そろそろ来るとは思ってたっス。上等っスよ」
 
 「推測だがな。もしかしたら…わたしは、明日にでも倒されて死ぬのかもしれないな、と実は少し思ってもいるのだ。だがな、お前が一緒に戦ってくれると言われると、夢が見れる。嬉しく思う」
 
 「実は…もしまたあいつらと戦うことになったら…そういうやられるかもって不安、オレもないって言ったら嘘になるんスよ。
 すでに一回やられてるし、オレの実力も、ヒュペリオンさんやディルガインさんとそんなに差があるわけじゃないっスからね。
 四本足の最後の一本になっちゃってしばらく経つけど、誕生日ケーキのろうそくの、吹き残ってしまった最後の一本みたいに今にも消されちゃうんじゃないか? …って思ったりも…したんスよ。
 でも…負けないっスけどね。それはワルジャークさんと一緒にっスよ、もちろん」
 
 「よろしく頼むぞ。ワルジャークの一本足、レウ」
 そう言ってワルジャークはやさしく、やさしく、レウのきつね耳を撫でた。
 
 「ワルジャークの一本足…って名前…。
 …なんか…エロくないっスかぁ?」
 
 きつね耳をそっと触れるように撫でられながら、ちょっと照れ隠しのように、茶化してみる。
 気持ちをせき止めている心の防波堤に高い波が押し寄せているようだ。
 
 「そうかもしれぬ」
 
 「オレずっと邪雷王様の嫁になるために頑張ってきたことを考えると…。
 なんか…ものすごく…背徳的な気がしてきたっス。
 なんてね」
 
 「ちょっとこんな夜は、わたしと特別な稽古でもしてみないか?
 …わたしの、一本足」
 
 「ひょっとして…口説いてるんスか?」
 
 そう、ワルジャークが仕掛けてくるのをどこか待っていたのだが、勇み足をして場を失うわけにもいかないので、慎重に駆け引きしてもみる。
 
 「毎日一緒にいる美しくかわいいきつね娘が夜中に突然『夜這いに来た』とか言って尋ねてこられたら、どうにかなってしまったようだ。化けきつねに化かされてしまった…。…こんなこともう言わんぞ」
 
 「…『夜這いに来た』は…ワルジャークさんが言わせたくせにぃ…」
 「そうだろうか? 来たのはお前だ、困った悪い女狐(めぎつね)だ」
 
 「ワルジャークさぁん…もしかして明日死んじゃうくらいなら…って、声かけてきたんじゃないでしょうね?」
 
 「このワルジャークも、悪くて邪悪のワルジャーク、だからな」
 
 「まったく…わるものは困ったもんっス。
 シーザーハルト様がどんだけオレを大切にしてきたか知ってて…。いやまてよ…だから、今しか口説けないのか…。ほんと悪いひとっスねえ…」
 
 ワルジャークは玉座に座ったままレウに向けて手をかざした。
 「ほれ、ほれ」
 
 「ううっ…」
 レウのきつねのしっぽがぶんぶん振られだしてしまった。止まってもくれない。
 
 それで、レウは顔を真っ赤にして、ワルジャークの正面に沿うようにひざを着いて、少しその手をぺろぺろ…としばらく舐めたあと、いそいそと頭を差し出した。
 そしてワルジャークは、改めて念入りに、レウの頭や首筋や頬、背筋を撫でた。
 
 「よしよしよし…」
 なでなで…。なでなで…。
 
 レウが目を瞑って、ただ、しばらく、撫でられていると、寂しさが埋められていくのがわかった。
 
 「あれ…? もしかして…少し前…オレのこと…美しくかわいい…って言ったんスか…?」
 「なんだ、今頃思い出したのか」
 「…もう一回…、言ってくださいっス…」
 
 「それ…もう少し互いに盛り上がったあたりのほうが…たまらないと思わないか…?」
 
 「え…オレたちどうなっちゃうんスか…? これから…」
 
 もしもあした死んでしまうのなら、ここずっと身も心も捧げてきた悪い人に捧げてしまうのもまた、ひとつの真実なのかもしれない。
 
 そう、満たされていく心が誘惑する。
 
 破壊しかできないっていつも言ってるこの人は…オレの邪雷王様への恋心も破壊するつもりなのかな…。
 レウも、そんなことはさすがに言えない。
 
 「そういえばわたしが人間だった頃…シーザーハルトに初めて会った日、お前はもう、シーザーハルトの隣にいたな」
 「そうっスよ…。オレは…その頃からこの身を邪雷王様に捧げるために守ってきたんス…。でも…」
 「でも…?」
 「あれからワルジャークさんもずっと…シーザーハルトさんへのいろんな想いで揺れ動いてきたのをずっと見てきたから…だから…」
 
 「…だから?」
 
 「そんな人と…同調…してみるのも…って…そんな迷いが…」
 
 「同調…。…そういう運命だったのかもしれない」
 
 「きつねって…イヌ科だから、主人には…なついちゃうん…スかねえ…」
 そう言ったレウは、ワルジャークの胸に、すりすりと額を当てた。
 
 それからワルジャークは、レウのしなやかな尻尾も撫ではじめた。
 レウは撫でやすいように、きゅっと、腰を上げた。
 んっ…と、声が出る。
 
 「ほんとは駄目なんスからね、この体は、邪雷王様の…うっ…」
 
 「ほんとは?」
 
 「んんっ…、ほんとは…ぁっ…
 ほんとって…なんなんだろ…。んぁっ…」
 
 寂しさと夜とふたりきりという条件の下で照らされていたら、あとはゆるやかな同意だけなのかもしれない。
 
 「…でも…っ…、稽古だから…まあ、いいっス…。ほんとは…駄目だけど…」
 
 本当は貞操にこだわっていたはずだったのだが、新たな深い情もまた、沸いていたのだった。
 
 「では…共犯…だからな?」
 
 同意を得たワルジャークが片手を上げると、扉に鍵がかけられた。
 
 「んんっ…なんて…悪い人なんスかねえ…。
 …同調…、
 …はじめてなんスから…、
 やさしくしてくださいね?
 んっ…」
 
 そして、ワルジャークの一本足・白狐帝レウのまとう鎧が、布が、ひとつ、またひとつ、外されていった。
 
 
 ◆  ◆  ◆
 
 
 一方、ディンキャッスルの兵舎兼櫓(やぐら)塔にある一室。
 
 報告兵ツァインバヌトリは、調査用の水晶玉でふたりが何かしているのを見てしまったので、真顔で、真っ白な便せんにぐるぐるぐるぐる、とぐしゃぐしゃにペンを走らせはじめた。
 
 真っ白な便せんだったものに、どんどん真っ黒なかたまりが広がっていった。
 
 
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