#36 邪雷王の葛籠(つづら)
日が暮れて、ルンドラの城下街にも街灯が灯りはじめた。
街を彩るジャガイモを炒める音、ジャガイモをふかす香り、ジャガイモを切る包丁の音。
高くそびえる黒壁に残雪が絡みつくディンキャッスルでは、先の敗戦に伴う人事の指示が行われていた。
「かしこまりましたワルジャーク様…では…」
と、沈んだ表情でフェオダール公爵が退席していった。
いつもは光るフェオダールのメガネも元気がない。光らない。
ふう…、と、玉座に座る砕帝王将ワルジャークはため息をついた。黒獅将ディルガインが倒され、封印されたことを報告兵から知らされて、ロンドロンドからルンドラにやってきたところだ。
ディルガインを失ってしまったので、フェオダールを副領主から領主に格上げさせたのだった。
ちなみに、ライトやヒュペリオンやレウはロンドロンドにいる。
フェオダールとディルガインは様々に緊密な関係にあった。だからフェオダールは領主となった喜びよりも無念の悲痛さの表情を振りまきつつ、しっかり給料アップも承諾させて去って行った。なかなかお金にしっかりしている。だから政治をさせるのに向いている。
また、ワルジャークは、ディルガイン直属の付人四人衆…リオナ、レーヴェ、アサード、シシーシシシシザエモンの四人に、ディルガインの職務をフェオダールに引き継ぐサポートを依頼した。四人そろって泣きながら「その後はずっとディルガイン様の指示待ち待機する」と言っていた。どへんたいかつかしましい連中だが、有能かつかわいいので、しばらくしたらスカウトの可否を検討している。
黒獅将ディルガインの封印はワルジャークの元妻であるアイハーケンが持っている。ワルジャークは龍魔王ワイゾーンに、ディルガインを取り戻せるよう交渉してほしいと持ちかけたが、断られてしまった。龍魔王はつくづく動かない男だ。ヒュペリオンを救ってくれただけでも奇跡に近いのかもしれない。
我が軍の戦力が戻ったら取り戻せるだろうか、とワルジャークは考えた。アイハーケンはヒュペリオンが何度か封印している相手だ。だが、アイハーケンもずいぶん力を上げている。…考えておこう…。ワルジャークは思った。
いずれにしても現状は、北領を民に奪われ、ノリコッチは現在進行形で攻められており、軍の戦力も不足している。
また、南領・ウェーラ地区は、巨魔導鬼ソーンピリオの魔王学英才教育を受けた若手のホープ、エオフォルト鉛侯爵(えんこうしゃく)という二十歳のイヌパカ好きの魔人に任せている。
将来を期待された、忠実という噂の部下である。
イヌパカというのは犬とアルパカを無理に掛け合わせた獣であり、エオフォルトはそのイヌパカが大好きでよくイヌパカのぬりえをして遊んでおり、しかも鉛(なまり)の鎧を身に着けているという、とてもとても恐ろしい魔人なのだが…、ワルジャークの見立てでは戦闘力は噂ほどではなく、まだまだこれからと言ったところであった。ただ、潜在的な才能はものすごいと彼の周囲は言っているが…。
だが彼の若さと現状の軍の状況を考えると、やや心もとない。
やや心もとないので何とかしないといけない。
だが、やや心もとないばっかりに、そのことで、いつもの報告兵のツァインバヌトリが真顔で、水晶玉「ビルウォスの右目」を片手に、悪い報告に来てしまった。
まあ、「いつもの報告兵」といっても初登場なのだが。
「いつもの報告兵のツァインバヌトリです! 報告します! 南領・ウェーラ地区ウェディフの戦いにて、ウェーラ領全域がウィングラード側勢力に奪われました! 鉛侯爵(えんこうしゃく)エオフォルト様はウイングラード騎兵団のモルテンおよびダルフィンなる十代の男女二名の騎兵との戦いで複雑骨折し、右橈骨(とうこつ)頚部・近位骨幹部粉砕骨折、骨盤骨折、肋骨骨折、右橈骨神経麻痺の上、平謝りですべて回復させてもらい、その場で自らすすんで騎兵たちに土下座し、降伏の調印を押し、ワルジャーク様に退職届を書き、その上でぐるぐるまきに縛られ、逮捕されました! そこでその調印と退職届は水晶玉の映像から私が魔導プリントアウトしました! これです! あとワルジャーク様にいつものラブレターも書きました! これです! では!」
「い、いつもご苦労…、有能なる報告兵ツァインバヌトリ。いつものラブレターは、いつも断っているはずだが…」
「では!」
報告兵ツァインバヌトリは、サーキュラースカートを翻(ひるがえ)してそのまま真顔で去って行った。きっと明日も持ってくるだろう。いつも、ものすごいことが書いてあるのだ。とてもここでは書けない。
ともかく…これでスコトラ領に続き、ワルジャロンドの四エリアのうち二エリアが奪還されてしまった。
もう砕帝国ワルジャロンドにはルンドラ領とロンドロンド領しか残っていない。
やられたのはウイングラード聖騎団にではなく騎兵団に、である。ウイングラード各地の騎兵団員は皆、ヒュペリオンにより石化されたと聞いていたが、人数が多いので取りこぼしがあったのだろう。騎兵のモルテンだのダルフィンだのと言われても、ワルジャークには名前も知らない。
そのモルテンとダルフィンは、のちにアッカたち聖騎団に入って活躍することになるわけだが…。
これは…ますます、今は今後への立て直しをしなければならない。
ワルジャークが鉛侯爵(えんこうしゃく)エオフォルト関係のプリントアウト書類と怪文書と頭を抱えて難しい顔をしていると、バシュン、と、現れたのが、角なき鬼の魔王、巨魔導鬼ソーンピリオだった。
「よお…ひさしぶりじゃねえかワルジャーク様。元気だったのかよ?」
えんじ色と黄金のパーツに彩られた鎧が輝く。頭部を含め全面全身が鎧で覆われているので表情は分からないが、豪快できさくな言動だ。
「ソーンピリオか、ご苦労」
元気かと言われれば元気ではない事態だが、長年の腹心との再会にワルジャークは少し笑む。
「オレっちの弟子のフェオダール公爵がルンドラの領主になったそーじゃねえか、めでてえよなあ」
「さっきの今だぞ、情報が早いな」
「さすがだろお? へヘッ」
「さすがだな」
まあ、もうひとりの弟子のエオフォルト鉛侯爵(えんこうしゃく)はめでたくないことになってしまったのだが。
「…それからよお、ワルジャーク様」
巨魔導鬼(きょまどうき)ソーンピリオはドン、と巨大な葛籠(つづら)を床に置いた。
「遅くなって悪かったなあ、ようやく手に入れたぜえ…」
「…これは…!!」
「時の蒼い風長老・イリアスがな、命と引き換えに六文字魔法で封印した邪雷王シーザーハルトの封印空域を圧縮して閉じ込めた葛籠(つづら)とくらぁ」
「これを守っていた…赤鳳拳聖ヘルメスを、倒したのか!」
「なあに、深夜の寝込みに、弟子のネズミがちょろちょろ忍び込んで奪ったんだよ。やっこさんってば全く油断していたようでよ」
「おお…鼠咬卿(そこうきょう)イグザードが働いてくれたか」
ライトのメイドを辞してこの職務に当たった少女である。
「嬢ちゃん、退却時に少しヘルメスと戦闘になって負傷したんだけどよ、なんとか逃げられたってよ。オレっちも戦闘能力さえ失われてなければ大事な弟子っ娘(こ)に傷をつけるようなこたあさせなかったんだが…」
「そうか…、だが、よくやってくれたな。それで…そのイグザードは?」
「オレっちにこれを渡して、そのままノリコッチの防衛に向かったぜえ。各国の軍勢が攻めてきているからなあ」
「そうか…。さて…この封印、解呪できそうだろうか」
「おうともよ、とりあえずやってみるぜえ…。しばらくこの懐かしいディンキャッスルでひと部屋借りてよ、解呪の作業にあたらせてもらうぜ、ワルジャーク様。弟子たちには悪いが、さっそくもう魔王学教室は休講にしてきたとこよお」
「すまないな、報酬は弾むぞ。昔のお前の部屋はそのままにしている。頼んだぞ、ソーンピリオ」
「おお、ありがてえじゃねえか。何年かかるか、あるいは明日できるか、さっぱりわからねえけどな、まかしとけよ」
ソーンピリオはそんなアバウトな返事をしながら、ライトが施した冷蔵庫の封印を開け、エンジバラ議員を封印したあぶらあげをみて、賞味期限が切れるから新しいのを買ってきて封印し直しとくかあ〜…、などと言っている。アバウトだがこういうところはしっかり見ている。
師(シーザーハルト)が復活したとして、今度は自分とうまくいくだろうか…。
実はワルジャークはそこを懸念していた。ワルジャークにとって邪雷王シーザーハルトは決して馬が合うと限った相手ではない。
邪雷王にとってのワルジャークもそうだろう。
ワルジャークにとって邪雷王は、あこがれたこともあり、師と仰いだこともある存在だ。同じ道を歩いたこともあれば、戦い、封印したことさえもあった。だが最後に封印されたときは、「蒼い風」打倒で同調していた。
だからいまは、同調したまま関係性が止まっている。だから、助けるのだ。
合わなければ…また考えなければならないな。
なんという関係なのだろう。
そう思うと、ワルジャークはなんだかフフッ、と笑えた。
逆転の目は、なくもない。そう思えた。
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