#32 ネシ湖と竜の卵
さて、ウィウィクの街より少し南下して、ここはネシ湖の湖畔、ネシンヴァネスの村。
先程もウィウィクにて、ワルジャークが指を差し話題にしていた湖、ネシ湖は、ウイングラード本島の北部にある湖である。ウイングラード騎皇帝王国改め砕帝国ワルジャロンドにおける四地域でいうと、北部のスコトラ地域にあたる。ネシ湖には数多くの種類や数の竜たちが暮らしている。そんなネシ湖周辺地域に住む竜たちは、湖竜、あるいはネッスーとも呼ばれている。
ちなみにネッスーというのは竜の一種族の名前というわけではなく、この地域に住む様々な種族の竜の総称である。
ウイングラード聖騎団のひとりレックスの舎弟かつ騎竜のトムテもまた、ネッスーである。類まれなる機動力を誇る竜、トムテの出身はこのネシ湖近隣の村、ここネシンヴァネスなのだ。
トムテは、先のロンドロンドでの戦いにおいて、クーモズ川・パワーブリッジ上空にて黒獅将ディルガインの胸部の獅子から放たれた強力な火球攻撃を受け、頭部の骨折を含む重傷を被った。竜骨のこの部分の負傷は、専門医である竜医の技術でないと治療できないため、トムテは帰郷した。だが、トムテの両親が「もううちの子はあんな怖いところへはやりません」という連絡をしてきたため、戦力上トムテを失うわけにはいかないレックスは、ケンヤたちに、トムテが回復していたら迎えに行くように依頼をしていたのであった。
ネシ湖からアホ海に流れ込むネシ川の河口に位置するネシンヴァネスの村は、参宮ロンドロンド街道とネシ湖の接地点でもある。
自然の力で断層により、湖から流れる川に沿って形成された直線状の地形をまたがるように、参宮ロンドロンド街道が横切る。
春から秋にかけては観光客も多い地域だが、冬の間は閑散としたものだ。お土産屋さんも閉まっている。
竜の多い地域だからか、竜の体型に適応した大きなドアの建物が多い。竜がベランダから飛び立てる構造になっている建物や、住宅の地下から竜が河口に泳いでいける設計の家屋もある。
ケンヤとガンマとアルシャーナとレルリラ姫は、そんなネシンヴァネスの様々な建物を珍しげに眺めながら、てくてくと歩みを進めていた。道沿いの丘からは広い湖も見える。湖の中から大きな塔が建っているのも見える。ここネシンヴァネスの辺境伯が守護する、ネシカート城である。
ケンヤが、ややげんなりして先程食べた外食の感想を愚痴っている。
「さっき食べたハギス料理…あんまりおいしくなかったな…。お店の人はいいひとだったけど」
ここ、スコトラという地域特有のハギスというものは、二種類ある。ひとつはいま語られている、料理におけるハギスである。羊などの食用の獣の内臓等を獣の内臓の袋に詰めて調理した、スコトラ地方の伝統料理だ。そしてもう一種類のハギスとは…のちほど語ろう。
「あたし、ハギスってはじめて食べたぜ…。からあげのほうが好きだな。でも、お店の雰囲気はよかったよな」
アルシャーナは先程の食事をそう評した。
「わたくしもウイングラードの人間なのに初めて食べましたわ。ユニークな料理ですね。お店の建物はいい感じでした。ガンマはどうでしたか?」
とレルリラ姫が訊くと
「あー…わいは結構興味深い味やったから腹いっぱい食うてしもたわ。しばらく…遠慮したいけどな。これが好きなひとも多いっていうで」
と、ガンマは自らの腹部をさすった。
「トムテの家までもうすぐだな」
「ぴいぴい」
ケンヤのひとりごとに、小鳥のぴちくりぴーも同意した。
トムテの家まで少し距離があったので食事を済ませてしまったが、目的地までいよいよ近い。
「おいしい竜乳」と大きく書かれた乳製品専門店のシャッターが閉まっている。
ぺしーん、ぺしーん
その店の前の道端で、なにかして遊んでいる二頭の飛竜の子供たちがいる。二頭とも男の子だ。
よくみると、尻尾で器用にタンバリンを持って、バドミントンの羽根を打ちあって遊んでいるのだ。
タンバリンには「にゃんかく」の絵が描かれている。「にゃんかく」は下界で人気のある漫画のキャラクターで、さんかくのにゃんこのキャラである。様々なキャラグッズが出ているのだ。
「おん? おもしろそうな遊びをしてるなー」
通りかかったケンヤがそう言うと、道の隅の、竜も座れる大きなベンチに座っている白衣を着た竜のお姉さんが、何かを食べながらこう返事をした。
「タンブレリっていう病名なんですよ…いえ…病名ではありませんでした。スポーツ名です…。スポーツです…」
「ふーん…」
ま、まわりくどい。
「このスポーツは、入院や手術や治療の必要はありませんが経過観察が必要でしょうね…。医的に特徴的な症状が出ています…」
い、いったい何を言っているのだろうか。お姉さんの竜の尻尾がふりふりと動く。
タンブレリで遊んでいた飛竜のネッスーの男の子たちは、「ごめんノリー、犬のモーヴァンの散歩に行かないとー」「ぼくもいくよ、グランヴィル」と会話を交わしてタンブレリを切り上げた。
そしてノリーとグランヴィルと呼び合う竜の男の子たちは「にゃんかく」の描かれたタンバリンを持ったまま、駆けていった。
犬を飼う竜。そういうのもあるのか、とケンヤは思ったりもした。
さて、タンブレリは、ご存じの方もいるかと思うが、端的に言うとタンバリンのようなものでバドミントンの羽根を打つスポーツである。もともとフカリアで発祥し、のちにイタルサに渡り、そしてここスコトラでスポーツとして定まった。イタルサではボール競技だったが、ここスコトラでバドミントンの羽根を使うスポーツに発展した。
さくさく、さくさく
大きなベンチに腰掛けた白衣の竜のお姉さんは、四本ずつ入った四角い焼き菓子の箱を六箱も積んで、ひとりで猛然とサクサクと食べながら、帰っていく二匹の竜の子供たちの後ろ姿を見ている。甘くて香ばしい香りが漂う。ショートブレッドと呼ばれる、この地方で生まれた菓子だ。
「ああ…医的だわ…なにもかも医的なことばかりだわ…。なにもかも診察してしまいたい…そしてすべてを治療してしまえたらいいのに…」
などと竜のおねえさんはブツブツ言っている。へんなひとだ。絶対にへんなひとだ。
「竜の…医者…」
ガンマがそうつぶやき、それからこう尋ねた。
「失礼ですけど、竜医のスモレット先生ですかい?」
ガンマがそう尋ねると、竜のお姉さんは
「ええ。あなたは鋭い患者さんですね…。いえ…患者ではありませんでしたね。いまのところ…」
と言って、ふふっと笑みを浮かべてショートブレッドのかけらを口に放り込んだ。
それでケンヤたちも、彼女がトムテの担当医だとわかった。
◆ ◆ ◆
「そうだったのですか…蒼いそよ風の皆さん。まさかあなたたちが、わたしの患者のトムテちゃんに会いに来た方々だったなんて。なんて医的なのでしょう。トムテちゃんはもうすっかり回復しましたわ。診療したからです。診療を受けたからです。診療って素敵なことなんです。診療したのでしばらく診療しなくてもよくなったんです」
と言って、スモレットは新たなショートブレッドの箱を開封し、話を続けた。積まれたショートブレッドは残り五箱になった。
「昨日トムテちゃんに、『念のため三カ月後に経過観察の検査を受けにいらっしゃいね』、なんて、次回の診療を告げたところなのですよ。手術もとてもうまくいきましたし、回復魔法もよく効いて、もう旅立てる状態です。ちなみにトムテちゃんの実家はわたしのクリニックの隣なんです。トムテちゃんは医的にいうと幼なじみなんですよ。…あっ…幼なじみは医的じゃないですね…。ふふっ。幼なじみ兼患者なのです。わたしの亡き夫の水竜ナッシュもこどものころから近所に住んでいました。トムテちゃんとわたしとナッシュ、三頭は幼なじみだったんです。夫は、魔力性自己免疫疾患の精霊免疫異常が原因で閉塞性細気管支炎になって呼吸不全が進行してしまって、そのあと医的にいうとかぜをひいてしまって症状が悪化して…、無理をして命を落としたんですけど…」
そういって、竜医スモレットは少し涙目になり、
「ああ、いけないわ…」
と、ポコポコと二個、卵を産んだ。
「死んだ夫のことを考えるとつい卵を産んでしまうんです。べつにいまは独り身ですから無精卵なんですけどね、医的にいうと…」
スモレットはそう言って、赤面しながらさめざめと涙を流し、あわてて無精卵を手持ちのかごに入れた。
ケンヤはそんな彼女に
「そう…。ご主人の事、思い出させちゃったね、いろいろ話してくれてありがとう、スモレット先生」
と、声をかけた。
「トムテちゃんは性格はちょっぴり荒いけど、一生懸命にがんばる友人です。聖騎士レックスの騎竜にまでなって、世界のためにこれからも力になりたいって言っています。でも危険な仕事ですからね、トムテちゃんのご両親が心配して、旅立ちを制止しているんです。まあそんなわけですけど、ともかく皆さんと再会したらトムテちゃん喜ぶと思いますし、よろしくお願いしますね…。トムテちゃんのご実家は、そこの角をまがって…十軒目くらいいったところにある、スモレット竜医クリニックの奥の工房ですから……ううっ!」
スモレットはそう指をさしながら、また一個、コロンと無精卵を産み、ああ、いけないわいけないわ、でも医的だわ、などと言いながらまた卵をしまった。
「うん、ありがとうスモレットさん。じゃあトムテに会ってくるよ」
「ありがとうございますですわ、スモレット先生」
そうアルシャーナやレルリラ姫が言った。
「ええ、ご健康に気を付けて。病はおそろしいですから」
スモレットがひらひら手を振った。
そしてケンヤたちはスモレットと別れた。
蒼いそよ風の面々が、十字路の角を曲がって十軒目くらい。竜医の言った通り、確かに《スモレット竜医クリニック》と書かれた看板が見えてきた。
そのときである。
「きゃああああ! やめてください!」
後方…さきほど居たあたりから突如、悲鳴があがった。
「スモレット先生の悲鳴や!」
ガンマが叫んだ。
そしてケンヤたちが、あわててもと来た道を引き返すと、そこには、紫色の鎧を纏い、三本の足を持った四角い目の金髪の獣魔人が、スモレット医師に詰め寄っていた。
「出さんかい…竜のご婦人…。あるんじゃろう! 竜の卵がここにはあるんじゃろう!! わかるんじゃ! このタンブレリハギスの魔人ヌァッス辺境伯(へんきようはく)様には、すべてお見通しじゃけえのう!! せーじゃけえ、くれ! わしにくれ! このネシンヴァネスの村で最もえらいわしに、ただでくれ!」
そのタンブレリハギスの魔人は、タンブレリの用具、つまりタンバリンとバドミントンの羽根を鎧のほかに身につけている。
ここスコトラ地域特有のハギスとは、二種類ある。ひとつは料理である。そしてもうひとつは、生物だ。全身が毛に覆われており、長い三本足で素早く動き回ったりするのがハギスという生物の特徴である。このヌァッスはタンブレリ好きなハギスなのであろう。
ヌァッス辺境伯は、スコトラ領主のイズヴォロ鉄侯爵からこのネシンヴァネスの防衛を任された、地方長官にあたる職務にあたっている。ネシ湖のネシカート城を任された城主でもある。
つまりこういうことだ。
黒獅将ディルガインがネッスーの卵を欲しがる。そこでスコトラの領主のイズヴォロ鉄侯爵に調達を依頼する。するとイズヴォロが、ネシンヴァネスの辺境伯(へんきようはく)のヌァッスに卵の調達を命じる。
そういう流れである。
スモレットが言った。
「また来たのですねヌァッス辺境伯! タンブレリハギスの魔人ヌァッス辺境伯(へんきようはく)! なんて病的な男なのでしょう!
だめですヌァッス、あなた達、砕帝国ワルジャロンドの者たちは、あちこちで我々ネッスー達の竜の卵を強奪していると聞きました。病的です! わたしの産んだこの卵は無精卵ですが医的に重要なものです。あなたのような悪い荒くれた魔人に渡すわけにはいきません!」
ヌァッスは激昂した。
「ぐぬぬう、竜のご婦人め…。ええい、わりゃーすばろーしぃ(うるさい)みょうちくりんなカバチタレじゃ…。余(あま)くりかえっとるんじゃから、くれりゃーええじゃろう! さっさと卵を渡さんと、悪(わ)りゅーすりゃぁ、しゃけらもねぇ(とんでもない)目にあわしたるけえのう、くれ! 竜卵をくれ! はようくれ! もはやこの国はワルジャロンドなんじゃ! ワルジャロンド王・ワルジャーク様の命により新たなスコトラ領主となった領主イズヴォロ鉄侯爵様は、ワルジャロンド繁栄のため、ネシ湖の湖竜たちの卵を強引に接収しておるのじゃ。わしはそのイズヴォロ侯よりその職務を命じられとるんじゃ。だから卵を出せ! くれ! 竜卵をくれるか? どうじゃ!」
なまりが、すごい。
「い・や・で・す!」
スモレットが即答すると
「じゃったらしゃけらもねぇ目にあわしたろかいー!! ぬおおお! シャトルトルネードオーバーヘッドストローク!!」
とヌァッスは叫んだ。
数十のバドミントンのシャトルが魔人ヌァッスの頭上に浮かんで、宙で猛然と回転を始めた。さらにその上空では複数のタンバリンが浮かび、シャトルを発射すべく魔力(フォース)を放った。
「いくんじゃ! シャトルども!」
ヌァッスがシャトルたちに号令をかけた。
オーバーヘッドストロークというのは頭の上からシャトルを打つ方法だが、こうして体を使わない方法でもそう言うのだろうか。言わない気がするが、シャトルトルネードオーバーヘッドストロークという技に関しては、こういう名前の技ということなのだろう。
数十のシャトルがスモレットに向かってくる。するとアルシャーナが、シャトルとスモレットの間にスライディングで滑り込み、
「だだだだだだっ!!」
と数十のシャトルすべてを上空に蹴り上げた。
「柿Ξ脚・連撃! 」
そこに、見慣れた竜が一頭、飛来してきた。トムテだ。名医の治療の成果で、もう頭の包帯も外されている。
トムテは、シャトルとは別に浮かんでいたタンバリンのうち、二つを尻尾と手でつかんで、
「いまだ!やってくれ姫様!」
とレルリラ姫に叫んだ。
「トムテ! ひさしぶりです! ではいきます…呪文(スペル)…煌炎(フレイザーム)!」
レルリラ姫の炎系二文字魔法が、タンバリンとバドミントンの羽根を燃やしてゆく。
「あああ! なんてしゃけらもねぇことをするんじゃああ!」
と叫ぶ魔人ヌァッス。そんなヌァッスに拳を構えて向かってくるのはケンヤである。
「やれやれ…輪投げの次はバドミントンの羽根かよ…」
などと言うケンヤの両腕のまわりをくるくると風が回る。
「風来(ふうらい)・拳風車(こぶしかざぐるま)!」
無数の拳がヌァッスに打ち込まれてゆく。
「おおおおおおっ! やば、これはしゃけらもなくやば…!」
バシュン!
「お、おん!?」
ケンヤは驚いた。突如ヌァッスは消えたのだ。
「天翔樹の葉を使ったんや。額の防具の裏に隠しとったのを使ったのが見えた」
ガンマが分析した。
ヌァッスが使用したあとの、白くなった天翔樹の葉が落ちている。
トムテは
「いやー…まさか姫様が直々にこのネシ湖にまで来られるとは…ほんと、驚いたぜ」
と、驚いた。
「うふふ、わたくしも自分でもびっくりなんですよ」
レルリラ姫はいたずらっぽく笑みを投げた。
「トムテ、ひさしぶり、よく気づいたね」
ケンヤが言うと
「おう、なんか騒いでいた声が聞こえたからな、家も近くだし」
と、トムテは、「にゃんかく」の描かれた二枚のタンバリンをなでた。
「これ、つい、たったいま、犬を散歩していた近所の子供がな、『にゃんかくのタンバリンを変な奴に取られた』って泣いてたんだ。ノリーとグランヴィル、あの子たちの名前も書いてある。間違いない」
ヌァッスが奪ったのだ。短い間にあちこちで暴虐を尽くしているとんでもないタンブレリハギスだ。
「トムテちゃん…皆さまも、ありがとうございます。もうすこしで医師から患者に変わってしまうところでした。なんて医的なのでしょう! なんて過剰に医的なのでしょう! みなさまでこれを召し上がってください…。って、ん、んんんっ!」
そう言って感激しながら、竜医スモレットは五箱のショートブレッドをケンヤたちやトムテに配ろうとしたのだが、また卵をぽこぽこ産んだ。
これでは「召し上がってください」というのはショートブレッドなのか卵なのかわかりにくくなってしまった。色々大変である。
◆ ◆ ◆
そんなこんなで、タンブレリハギスの魔人ヌァッス辺境伯からタンバリンを取り上げられた子供のネッスーたち…ノリーとグランヴィルは、ものの数分後に近所に住むトムテがタンバリンを取り返してくれたので満面の笑顔で礼を言い、犬のモーヴァンの散歩の続きに戻っていった。犬のモーヴァンもトムテに礼を言った。しゃべれるやつだった。スコティッシュテリアではなかった。トムテがかわいい湖竜の少年たちと犬に褒められ、にこにこしてご機嫌になっている様子を、ケンヤ達もにこにこして後ろで見ていた。
こんなやりとりを終え、子供たちやスモレット医師と別れたケンヤたちは、トムテの実家に招かれた。
聖騎士レックスの騎竜のトムテの実家は、いわゆる鍛冶屋である。店先には「ウルズリー&ネーミア金属加工店」という看板がかかっている。トムテの父親のウルズリーと母親のネーミアの夫婦は、刃物や工具や農具などを製造したり修理したりしているのだ。
竜の体格に合わせた鉄具も多く手掛けており、腕も確かなため需要は多い。
「おじゃましますー」
とケンヤたちがトムテの実家兼工房に入ると、炉や鞴(ふいご)や金床(かなとこ)、溶接や切断などの器具が並んでいるのが見えた。
「あらあらみなさま遠い中よくお越しくださいましたね、トムテの母です。いつもお世話になっています。いま飲み物をお持ちしますからね、ミルクでいいかしら。ヨーグルトやチーズもあるんですよ。みんな竜乳でできてるんですよ」
トムテの母のネーミアは薔薇(そうび)色の体色を持つ、かわいい瞳の竜だった。パタパタとスリッパでキッチンに向かって行った。
カーン、カーン、カンカンカン、高い金属音が響く。
トムテの父のウルズリーはケンヤたちに背中を向け、金床(かなとこ)に向かっている。みると、騎竜の蹄鉄(ていてつ)を打っている。
「まあ、ゆっくりしていくんだな、…それからなんか、届いてるぞ」
柳(やなぎ)色の体色をした竜のウルズリーは、大きな背中を向けたままそれだけ言うとまた作業に戻った。
「親父はちょっと無口でな…まあ気にせずゆっくりしてくれや」
トムテはそう言いながら、宅配の木箱を開けた。
「ひゅーっ、レックスの旦那からだ」
中にはポジル社のHP回復ポーションが一ダースと、鎧の部品が入っていた。
そしてレックスからの手紙にはこう書かれていた。
〈あの大変な日、クソガキのケンヤ・リュウオウザンに一本ポーションを貰ったな。あれには助けられた。ピンチの時にはこういうものが必要だ。だから送る。みんなで持っておくといい。あと、クソガキケンヤは装備が甘かったからウイングラード王宮お抱えの下界(ドカニアルド)最高峰の武器屋「コウライケン」のマスターに追加装備を発注していたんだが、出来上がりが旅立ちに間に合わなかった。出来たから送っておく。クソガキケンヤお前、ロンドロンドふるさとスタンプカードをいっぱい捨てていっただろう。ごみ捨て場に置いてあったから燃やされるところだったぞ。六六〇〇ポイントも貯まっていたからこの装備代にあてておいた。ちなみに二〇〇スタンプ使った。勝手に使ってすまねえが、燃やされたらもったいねえからな。残りは預かっておくぜ。それと…〉
以後は、レックスのレルリラ姫に対する求愛の文章やら、トムテへの近況報告などが書かれていたのだが割愛する。
「追加装備?」
ケンヤは思いもかけない出来事に、木箱のなかをのぞきこんだ。
中に入っていたのは、現在のケンヤの装備の外側にさらに付け加えるための、追加パーツといえる装備だった。
「ああ、リーダー、こないだロンドロンドで白狐帝レウとかと戦ったあとソレイン宮で十日間も寝とったやろ。その間にもともと着てた鎧は修理できたんやけどな、そういやレックスさん言うとったわ。リーダーは装備が薄いって」
と、ガンマが言った。
「そっか…あんまり意識してなかった…、あっ、ありがとう」
飲み物やデザートを運んできたネーミアにみんなで会釈をしながら、ケンヤが答えた。
「…装備の質はどうなんだ? ガンマ」
と、アルシャーナがたずねた。
現在のケンヤの鎧や盾はガンマが製作したものだ。
「これは…最高の職人の手による一品や…。ちょっと、モノを見せてもろてからコメントするわ」
と、ガンマは届いたケンヤの追加装備を見て
「ほおお…。肩や背中や腰、手足、なかなか重厚になるなー…せやけど、軽量対策もしてある」
と感心した。
「いまのリーダーの装備は、あまり重くなったら戦いにくいっていう判断があって、そういう仕様にしてたんや」
とガンマが言うと、
「ケンヤの闘法は、風に乗ったスピード重視の戦い方ですものね」
と、レルリラ姫が納得を示した。
「そっか…だけどワルジャークたちは段違いに強い。大将もあれだけ負傷してしまったし、もう今後は軽いだけじゃ戦いきれないってことなんだな…。だけどこれはなかなかの重装備だぞ、軽量対策してあるっていうけど…スピードが殺されないかな?」
と、アルシャーナが言った。
「やー……。これは軽くて強度もええ…、ええ金属を使っとるからな、戦況に応じて使い分けるべきか…。追装魔法を仕込むかな」
と、ガンマはネーミアの運んできたミルクをぐいっと飲んだ。
「おとうさん、おとうさん、これ!」
そこで、金属の種類が気になったトムテの母のネーミアが夫を呼ぶと、ウルズリーが作業を止めて、やってきた。
「ちょっと見せてみな…あー、この金属は、ミスリリルハルコマスカスだな」
ウルズリーは、目を細めた。
「あー、ミスリリルハルコマスカスっていうのは、レックスの旦那をはじめ、ウイングラード聖騎士団の鎧に使われている、希少な、硬度と軽量を兼ね備えた金属なんだ」
トムテが補足した。金属に詳しいのは、さすがに鍛冶屋の息子である。
「色がだいぶ…聖騎団の赤い鎧とは違うみたいだけど?」
「青く塗ってありますね」
と、ケンヤとレルリラ姫が言った。
「これ、いまのリーダーの鎧に色合いを合わせてあるんやな」
ガンマは感心しながら追加装備の構造を確認した。
ネーミアは、防具屋の追加装備の仕様書を手に取り、
「それでですが、この追加装備には、追装魔法が組み込まれていますよ。普段は装備しなくても、あなたのエレメンタルを仕込んでおけば、必要なだけ追装を求めればいいんですよ。いわゆる"装身"と同じ要領です」
と、にっこり笑った。それで、ケンヤたちは安心した。
「それでですが……あたし達に、それからウイングラードや下界(ドカニアルド)に必要なのは、こういう防具だけじゃなくて……とても大切なやつがいるんです。もしかしたら薄々わかってるかもしれないけど、あたし達は、ウルズリーさんとネーミアさんにお願いにきたんです」
と、アルシャーナが言った。
続いてケンヤが
「トムテさんの戦線復帰を認めてほしいってことなんだ…。どうしても必要な戦力なんだ。聖騎士レックスさんも熱望してる。どうかお願いできないかな…」
と、お願いした。
「せっかく来てくれたとこを悪いが……」
ウルズリーが断りかけたところを、レルリラ姫がかぶせた。
「このわたくし、レルリラ・ウイングラード・ワースレモンからも、要請いたします! わがウイングラードには、トムテさんが必要なのです…!」
レルリラの名乗った名前は、ウイングラードに住む国民なら大抵は知っている名前だ。
「こ、この方は……もしや」
「紹介が遅れちまった。すまねえ。ウイングラード騎皇帝王国王女、レルリラ姫だ」
と、トムテが紹介した。
「ひ、姫様! じきじきに要請に来てくださったのですか」
ネーミアはレルリラ姫に最敬礼をした。
「そうです。説得に参りました。いつも私達を助けてくださってきたトムテのためなら、それはもう参りますわ」
そう言って、レルリラ姫はにっこりとトムテの両親に微笑んだ。
ウルズリーは、固まりながら、
「姫様……ま、まさか姫様がはるばる、こんな愚息のためにネシンヴァネスまで来られるとは……」
と、声を絞り出した。
レルリラ姫はウルズリーに
「ウルズリーさん、このネシンヴァネスの村の竜、ネッスーたちが、タンブレリハギスの魔人ヌァッスたちに強引に卵を強奪されたりしてひどい目にあっているという話はご存知ですか」
と、尋ねた。ウルズリーは答えた。
「…ああ…知ってる。辺境伯がヌァッスっていう奴に変わってから、酷いもんだ。ほんとうに酷いもんなんだ…」
ウルズリーは目を細めて外を見た。窓からも、ネシ湖やネシカート城が見える。
「実はね…トムテ。あなたの弟か妹が産まれてくるはずだった卵も…あのヌァッスに、とられちゃったの」
と、ネーミアは腹部に手を当てた。
「…まじかよおふくろ…ずっと不妊症を治そうってがんばって治療してきて…やっと産めたんだろ…」
トムテはこのことを知らされていなかったのだ。
そしてウルズリーは、
「産まれてくるはずだった子供はかわいそうでならねえけど…あのヌァッスは、ただの鍛冶屋の俺たちが勝てる相手じゃなかった。だから俺たちは…竜が卵を産んでも取られない辺境伯に変わるまで…耐えようってことにしたんだ」
と言って、目を閉じた。
「……」
「ワルジャロンドめ…許せないな」
「ああ…」
ケンヤとアルシャーナが言った。
「すぐやめさせましょう、あんな辺境伯」
レルリラ姫は、強いまなざしで発言した。
「この地域、スコトラを統括していた行政機能…つまりエンジバラ領議会の方々はすべて、白狐帝レウにあぶらあげに封印されてしまってワルジャロンドに人質に取られています。そのなかにはエンジバラ領議会議長である本来のスコトラの領主や、ウィウィクの本来の侯爵、そしてここネシンヴァネスの村の本来の辺境伯も含まれています。それらのポジションは、イズヴォロやヌァッスら、砕帝国ワルジャロンドの邪悪なる者たちに取って変わられてしまいました。ワルジャークの手の者たちが竜の卵を使って何をしようとしているのかはまだわかりませんが、ウイングラード王国の王室の人間として、王宮が陥落し、あのような者たちに国を蹂躙されるのは我慢がなりません。だけどウルズリーさん、ネーミアさん、大丈夫です。わたくしたちは負けません。もちろん、トムテもです」
ケンヤが続けた。
「ああ。これからネシカート城のワルジャロンドの奴らは落とす。この村をワルジャロンドから解放する」
「親父、オレと、この人たちなら出来るよ。ワルジャークの四本足・白狐帝レウだって、倒したんだ」
トムテのこの言葉にネーミアは
「でも…あんな怪我をして…心配なのよ、お父さんもわたしも…。卵もそうだし、あなたを失うわけにはいかないの…」
と、つらそうに言った。
「……」
一方ウルズリーは、決断をした。そして黙って元いた作業スペースに歩いて行った。
「親父!」
「トムテ、これを着けていけ」
ウルズリーは、棚の奥から新品の竜用の鎧を取り出した。
「親父……」
「こうなる予感はしてた。だから作っておいた。……おめえが聖騎士の騎竜になるってだけでどんなすげえことなのか、わかってたつもりなんだが、まさか姫様がじきじきに俺を説得に来られるほどの存在になっていたとはな…。やっぱり俺は、自分の子供がここまで成長してたってことを信じてやれてなかったってことなんだな」
「ありがとう親父…こりゃすげえ、ぴったりだ」
トムテは早速新しい鎧を装着した。
「ただし死ぬな」
「そうよトムテ…。お父さんが決めたのならわたしももう、止めないわ」
「ああ…、ありがとう」
トムテはそう両親に答えた。
「ちょっとでも死にそうだなって思ったら逃げろよトムテ。どうしても勝たなきゃいけないけど勝てないってやつは、勝てるやつ、あるいは勝てる集団になったときに、勝てる時に勝てばいいんだ」
ウルズリーはそう言って、にこっと笑った。
「わかった。じゃあ、ちょっくらこの村を俺たちの手に取り戻してくるわ。我らのネシンヴァネスのネシカート城は、あんな野郎には似合わねえ」
トムテがそう言うと、ケンヤも
「トムテは死なせません。お約束します。トムテは怖い聖騎士レックスさんの騎竜だし、トムテが死んだらオレ達もレックスさんに殺されますから、みんな死にますから」
と続けたので、
「そうね」
「ぴいぴいぴい」
と、レルリラ姫とぴちくりぴーが納得した。
竜の父母は、旅立つ息子にこう言った。
「もし開放できたらな、卵にいた子は可愛そうでならねえけど、かあちゃんかわいいからな、卵はまたできる」
「そうよ、おとうさんかっこいいからね。それにスモレット先生も不妊症の治療の指導しっかりしてくれるしね」
トムテが
「ああ、照れさせるなよ息子を…」
と言うと、ウルズリーは
「卵を取られちまったことはしょうがねえたあ言いたくねえ。言いたくねえけど、とにかく、新しく産まれてくる子には、しっかり生きてもらう」
と答えた。
「わかったわかった、そういう環境を、整えてくるわ」
「気を付けてね、あなたは私たちの大切な息子…」
ネーミアはそう言って、ハンカチで涙をぬぐった。
トムテはロンドロンドにはじめて旅立った時も、母親がこうして涙をハンカチでぬぐっていたのを思い出した。その余韻は残るのだ。とても記憶に深く残る。
ケンヤの胸も、幼いころの母の思い出がよぎった。
ケンヤたちはトムテの背中に乗った。
「絶対に…勝つぜ!」
ネシ湖の湖面は白く輝き、ケンヤたちの出発を照らした。
決意をしてしまえば、ネシカート城は、すぐそこだった。
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