ケンヤ…!
外で、誰かが自分を呼んでいる。
・・・ケンヤは・・・まだ・・・、夢を見ていた。
少し、いや、かなり、心の整理(デフラグ)をしなければいけなかった。
ケンヤは夢の中で、「夢の中の自分の姿」を見た。
そこに、ちょうど鏡があった。
髪型はオレだ。顔もオレだ。ハチマキもある。
ただ、自分の身体の左半分は、シャドーバハムートと同じ色・・・左半身だけが真っ黒になっていた。
鏡がおかしいのだろうか、と、思った。
ケンヤは両手を見た。左手だけが真っ黒だった。
じゃあ、心はどうだろう。
夢の中でケンヤは、自分として話せるか、試してみた。
「長かったなあ…。十二万年って…」
そんなシンプルなことを言ってみて、オレだ。と思った。
「…確認するぜ、オレよ」
そのオレに問いかける。
「戦う者の全てを受け止めるんだよなオレ…
誓うんだよなオレ…
救うんだよなオレ………!!!!!!」
十二万年過ごした。だがオレだ。そうだ。
そう思ってもう一度鏡を見た。
ケンヤの半身はまだ、真っ黒だった。
これは、オレだろうか。
本当にオレで、いいんだろうか。
ケンヤは、夢の中で、自分自身に問いかけてみた。
【一度立ち上がればもう前しか見えない。決して倒れはしない】
…本当に、そういうことってあるのかな。
何回も、オレは誓ったんだ。
『オレはもう駄目だ』とも、『オレはもう弱音を吐かない』とも、何回思ったことだろう。
何回倒れ、立ち上がっただろう。
苦しまないと誓った。受け止めると誓った。
大切なものの存在が大きいほど、挫折の刃は深く刺し、使命が肩に重いほど、逃げ道の扉は大きく開く。
風なき闇が、染む。
無風(なぎ)がっ…!!
そこまで自分に問いかけてから
「どうしてオレはっ… 風帝だっ…!!」
改めて、夢の中で、声に出してみた。
「どうしてオレが風帝なんだ…っ!」
…カラカラカラカラカラ…
夢の中の朦朧(もうろう)とした感覚のなか、水車小屋の歯車が回る音が聞こえてきた。
これは・・・
夢の内容が、切り替わった。
これは・・・ケンヤが五歳のころの記憶の夢だった。
暗くて狭くてじめじめして、草のにおいがするところ。
「…ひっく…ひっく…ひっく…」
幼いケンヤが、ひとり、泣いていた。
この日はこうやってしばらく、ひとりで静寂のなか、泣いていたのだ。
ぎい、と扉が開いて、険しい顔の大人の男が入ってきた。
ケンヤの父、ジンである。
「見つけたぞケンヤ…。
今度はこの水車小屋に逃げてきたのか…。
妖魔王ヌヒョリラヴォシュノンが、エドーキオンの都を襲ってるんだ。『蒼い風』出陣だ。行くぞケンヤ」
ケンヤはいつものように逆らった。
「…嫌だよ父さん…。ひっく…ひっく…」
「駄目だ。逃げることは許されん」
父(ジン)の背部で、叔父(おじ)が父(ジン)に声を掛けた。
「やめとけよ義兄(ジン)。ケンヤはまだ五歳じゃないか…。
この間だって二週間も逃げ出して、その間、水も飲まずに生きてたっていうし…。今度は水のある所にいたから良かったが…かわいそうじゃないか」
「はなせスザク。そういう問題じゃないんだ」
そうジンが断った。
「おいジンっ…、うちの娘のアルシャーナだってまだ実戦に出してねえんだ。それに魔王なんて大人のオレだってビビるぜ? だって魔王だぜ? いくらケンヤが枕元に風陣王を授けられてたからって…」
ジンはケンヤに、スザクへの反論を聞かせた。
「スザク。そういう問題でもない。
ケンヤは…、魔王からじゃなく、自分から逃げてるんだ。
…アルシャには戦う意思がある。すでに達人の域だ。だが、いかんせん幼い。だがケンヤは違う。年齢はアルシャより幼いが、ケンヤ、お前は違うんだ」
ケンヤは、ケンヤなりに、五歳なりに、逃げ出しながらも、ずっとひとりで考えていたのだ。どうすべきなのかを。
数時間前にガンマから魔報(てがみ)が来ていた。魔法によって届けられたその紙片には「そこでしばらく、ひとりで考えてみ」と書かれていたからだ。
そのため、ケンヤなりに考えていた。だから、父の言うことは、正しいな、その通りだな、と確認しながら聞くことが出来た。そしてそう思える自分に少し驚いてもいた。
だが、まだケンヤには意地があった。
聞き分けのいい子供だったら、こんなところに来てはいない。
もう少しだが、まだ、立ち上がれなかった。
そんなケンヤの背中を押すように、父が言った。
「ハッキリ言おう。ケンヤ。お前は現段階ですでに、『蒼い風』の誰よりも強い力を持っている!」
――――ブルーファルコン…――――!!!
ケンヤは自分の中にある力が反応したような気がした。
ジンは、続けて核心を突いた。
「自分の背負うものが重いのだろう。その重さを考えるとつらいのだろう。
ケンヤ!!
自分の運命から逃げるな。
自分の可能性から逃げるな。
勇気を持て」
ケンヤは、ああ、だから今オレは、このときの夢を見ているんだ、と思いだした。
夢の中で父が、夢の中の幼い自分に教えてくれている。
父・ジンがあの言葉を言った。
「戦いってのは…
強かろうが弱かろうが、勇気がなければわからないものだ。
ケンヤは、その勇気の導く道へ行くのだ…!」
ケンヤは、ぞくっと、した。
ジンは問いかけた。
「戦う恐怖…
失う恐怖…
壊す恐怖に
死ぬ恐怖
その正体は・・・何だ?」
ケンヤは、立ち上がった。
ジンが、回答した。
「心(じぶんじしん)だ・・・!」
そして、ジンは、ケンヤに、手を差し伸べた。
「心(こころ)なら…強い意志持ち、一秒で変われ!!
心配するな…。お前は強い」
ぴん、と、ケンヤの視線が、ジンの掌(てのひら)に向かった。
「お前の勇気と、持って生まれたその力で、お前は、この全ドカニアルドを、全次元を、全ゼプティム界を、救うことが出来る。
お前は、お前の行く世界の全てを守ることが出来るのだ」
ジンが、断言した。
「どんな大魔王も。
どんな大邪神も。
真の風帝ならば、必ず討ち取ることが出来る!」
父が、差し伸べた掌(てのひら)を力強く広げた。
「行くぞケンヤ…」
ケンヤは、手を伸ばした。
サアアアアアア・・・
夢が、光に包まれていく。
ケンヤは差し伸べられた掌を掴もうと、手を伸ばした。
夢が、世界が、光で覆われていった。
差し伸べられた手を掴んだ。
そしてケンヤは、光の中で、その掌(てのひら)がたくましい父のものではなく、やわらかくしなやかな掌であることに気付いた。
この掌とは、昨夜(ゆうべ)、握りあった記憶がある・・・。
ふと、相手を見ると。
光の中で、セシルがいた。
自分の姿も、五歳の自分から十六歳の自分へと変わっていた。
だが、まだ、夢の中だった。
「ケンヤ…。はじめて会った日…おしえてくれたよね」
セシルは両手でぎゅっと、ケンヤの差し出した手を握った。
「『戦いは、あるものがなけりゃわからない。セシルはそいつの導く道に行け。お前にはそれが何か。そしてその導くところがどこかわかるはずだ』…って…」
そうか、あれは、父から受け取って、セシルに渡した言葉だったんだ。
「あたし、あのとき勇気を選ぶ勇気をもらったんだよ。
いまから思うとあの瞬間からずっと、あたしには、ケンヤしか見えなくなっちゃってるんだ」
そう言うセシルの瞳に、吸い込まれそうだった。
「大好きだったギベルの街。…あたしの全てがあった街のすべてが消えて…。たったひとり街の中にいた。
なんとかしなきゃ…とは思ったけど…」
そこでセシルの手に、きゅっ、握る力が籠もった。
言葉が連なる。
「でも、なんにもできなかった。不安と焦りがすごかったけど、 不安や焦りに、悲しさに、傷つかないことに必死だった。
泣かないように必死だった。
にこにこしていることに、必死だった。
不安も焦りも悪い予感も使命感も、いろんなことが心の中をぐるぐるしてたけど、押さえ込むのに必死だった。
ケンヤたちが街にやってきたときも『ギベルの街にようこそ』なんて言ってにこにこしてた。
必死で、必死に見えないようにしてた。
でもほんとは不安だったの。焦ってたの。ケンヤに会うまでは」
セシルはこつんと、自分のおでこをケンヤの胸板にくっつけた。
「だけど、それがケンヤの一言で、不安も焦りも吹き飛んじゃった。
たったひとつ。勇気。この言葉を胸に刻むだけで、あたしも戦える。あたしにもそれが出来るんだって思えたんだよ」
それからセシルは、おでこを少し強く押しつけた。
「気持ちが・・・進行して、本当に意識したら止まらなくなっちゃったのはもっとあとのこと・・・。
あの・・・目覚めた日。カミイがあたしを波帝に選んでくれたときなんだけどね。大変だったよ。
ずっと風帝の鼓動が聞こえてくるんだもん。
あれからはもう、目を見られたらみんな知られちゃうようになっちゃったんだから。
わかってたよねケンヤも。よく我慢したよ。あたし」
セシルはおでこをケンヤから離して、ケンヤの手を握ったままくるっと後ろを向いて、言葉を続けた。
「ゆうべまでね・・・!」
それから、首を振り向かせてケンヤの瞳を見て、微笑んだ。
「あと…もひとつ報告。
いつもの『わるい予感』
…もう、…全然なし!」
セシルはケンヤの手を引いた。
「さ…行こ! ケンヤ・・・!」
光の強い方向へ、セシルが行く。
ケンヤも、行く。
…パリン!
そのとき、ケンヤの半身から黒いものが飛び散った。
漆黒(しっこく)に覆われていたケンヤの半身は、元の色を取り戻していた。
ケンヤは改めて、自分に問いかけてみた。
どうしてオレは風帝なんだろう…。
…弱いからだ…!
この気持ちがわかるからだ・・・!!
そして、帰るべき所へと向かう。
夢から醒めてゆく・・・。
ぱちり。
ケンヤが目を開けると、手はまだ、ぎゅっと握られていた。
「セシル…」
「おはよ」
頬を染めて、セシルが微笑んだ。
オレは、セシルにひざまくらされてたのか・・・。
ケンヤが少女の瞳を見ると、恋が、いつものように飛び込んできてくれた。
ここは、これが、オレに飛び込んできてくれる世界だ。
そうだ、ここは、下界(ドカニアルド)だ。
戻ってきたのだ。ゼスタインに。
ケンヤは両手を見た。両方とも肌色をしていた。
「おー」
と、ジョー。
「リュウオウザン…!!」
と、クラーク。
「どや! ブルーファルコンは!」
と、ガンマ。
風帝は四帝の瞳を見て、自分が旅に出ている間に起こったおおよそのことを理解した。
「ああ…」
ケンヤは握られていた手をやさしく離したあと、セシルの頭にぽふ、と手を置いて礼をした。
それから、父の形見の鉢巻が緩んでいないか確認した。問題ない。
ゆっくり、立ち上がった。
ゆっくり、吹き出してきた。
風が。
風が!
ケンヤはジャクロスを見た。
ジャクロスは倒れ、激しい傷(ダメージ)に耐えながら、自分を見つめていた。
先程、どや、ブルーファルコンは、と聞かれていた。
どうだろうか。
「ブルーファルコン・・・始動!」
オン!
風が、一気に凪(なぎ)を吹き飛ばした。
ケンヤの鎧は、そのとき新たな姿に切り替わっていた。
こういう現象は、カミイの意思によるものである。
・・・オオオオオ・・・
新たな鎧となったケンヤが、そこにいた。
風帝は、復活した。
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