#39 せかいのおもさ
ロンドロンドガーデンプレイスの緑地や街並みを、今日も様々な馬車や旅人、商人たちが行き交ってゆく、二月半ばの昼下がり。
今日も冷えるが、お気に入りの手袋とマフラーを父に買ってもらったペックは、寒さのなかでも元気にガーデンを遊びまわっている。
馬が曳いている馬車もあれば、ダチョウや竜やゴーレムが曳く車もあるのでペックは見ていて飽きなかった。
(あのタレ目のうまがひいてる、あかいばしゃは、きのうもこのじかんにとおっていたなあ…)
門の外をのぞきこみ、二階建ての赤い乗り合い馬車が緑地の中の道を走って木々の間に消えていったのを名残惜しそうにじっと眺めて、そんなことに気付いた三歳の少年ペックは、にこっと笑って地面に座り込み、小石で、なんだかよくわからないが絵を描きはじめた。そこに、矛(ほこ)を持った鎧姿の女性・ふたりのうちひとりが声をかける。
「あらやだわ、なあにそれ、カバ? かわいいわねえ、ほんともう」
「ちがわい、ちがわい、こりゃあうまだい」
「あらやだわ、ほんともう、ふふふふ」
馬車を曳くタレ目の馬を描いているつもりなのである。仲良しのおばちゃんにいじられたペックは唇をつきだして抗議した。
ここは、ソレイン宮。
ロンドロンドにある広大な緑地、ロンドロンドガーデンプレイス内の数あるウイングラード騎皇帝立聖神宮殿群「バッキングミ神宮殿群」の宮のひとつ、空間神ソレインヴァステスを祀る神宮殿である。
ケンヤがかつてロンドロンドで白狐帝レウとの戦いに勝利した後、しばらく眠っていた、あの宮である。
ウイングラード聖騎士団・ユクシの遺児で、最近レックスの息子になったばかりの少年ペックは、レックスが療養するソレイン宮の門番のおばちゃんのマリザべスと一緒に遊ぶのが好きだった。
戦いで傷ついた聖騎士レックスはずいぶん回復したが、もう少しの間ここでの療養が必要だった。ペックは新しい父親に少しずつ慣れながら、ソレイン宮での数少ないエンターテイメントである門番のおばちゃんとの遊びを楽しんでいた。
余談であるがこの物語に「門番のおばちゃん」という表現で今までに登場してきたロンドロンドの名前付きの兵士は、二名いる。
ひとりはロンドロンド城の門番ムーンライム。ロンドロンド城を守っていた多くの兵士同様、今は石化されてしまっている。
もうひとりがソレイン宮の門番の、このマリザベスである。
ソレイン宮のようなゼプティム神殿を守る兵士達は、ゼプティム108神の名の下で職務にあたる神職でもある。ソレイン宮の門番という重責を任されているマリザベスもまた、国家ではなく神殿に所属する神官であり、僧兵なのであった。
といってもロンドロンドにある神宮殿群はすべてウイングラード騎皇帝立の施設なので組織基盤としては繋がっている。
そのマリザベスとペアでソレイン宮の門を守るのが、ホリーという十九歳の門番の女性である。将来、父トティのあとを継いでソレイン宮の神殿長になることを夢見る彼女にとって、この仕事は在学しているノリコッチ大聖堂学院大学通信制の学費をかせぐためのアルバイトでもあり、学業で寝不足のため、ホリーはいつも門番をしながらうつらうつらと居眠りをしている。なのでペックはいつもマリザベスと二人で時々ホリーに声をかけ、彼女を起こしながら、一緒に遊んだりしていた。
マリザベスはペックが傾倒するヨーヨーにもいつも一緒につきあってくれる。マリザベスには2才の女の子がいるので、昼間は子供を保育院に預けてパートでここの門番をしていると、ペックに教えてくれた。その子が大きくなったら一緒に遊んでね、とマリザベスは言ったので、あたぼうよう、とペックは返した。
そんないつもにこにこしているマリザベスが、革の鎧を身に着けた配達員から瓦版のチラシを受け取ると急に目を見開いて、手に持っていた矛(ほこ)をガランガランと落としてしまったので、ペックはびっくりしてしまった。
狼星王ライトが砕帝国ワルジャロンドにおけるロンドロンド領の領主となり、ロンドロンド城の城主になった、という内容の瓦版の号外が、ワルジャロンド全土に配られているのであった。
瓦版には、カラーでライトの姿も魔法印刷されていた。星導聡流剣(せいどうそうりゅうけん)を構えている。
「あらやだわ…ライト…ですって?
年齢も…合ってる…。
何度見ても…ライトって書いてある…、ほんともう。
髪の色も…お父さんのチャラリーさんと同じ色だわ…
…それに…これは決定的だわ…星導聡流剣を持っている?
あんな形状の剣は二つとない…
ルツィエの子… 間違いないわ…! あらやだわほんともう…!
ライト…、見つけたわ…ルツィエ!」
マリザベスはそんなことをぶつぶつと言ったかと思うと、ぱっ、と落ちた矛(ほこ)を拾い、また今度ねペック、と言って門の外に駆け出した。
「ほえ? マリザベスさんどこ行くんですのん―――?」
ホリーが駆けてゆくマリザベスの背中に叫ぶと、
「親友の、ほんとに大事なものを家から取ってくるわ! すぐ戻るからそれまで門番とその子をお願いねホリー! ほんともう!」
「ほえー?」
ホリーはマリザベスのその返事を聞いて首をかしげるばかりだった。ともあれ、ひとりで門番をすることになってしまっては責任上居眠りはできない。ホリーはぱんぱん、と自らの頬を叩き、がんばらなくっちゃですのん!、とつぶやいた。
いくらホリーがここソレイン宮の神殿長トティの娘で、長年ロンドロンド王室の従者を務めてきたジージの孫、というダブルコネがあったとしても、さすがにまずい。
ホリーもヨーヨーやるう? とヒマそうな男児が聞いてくる。いつもは子守りは先輩に任せてるけど、眠気ざましにちょうどいいのん、とホリーは考えを改めることにした。
そこにマリザベスと入れ替わるように、ひゅん、ノリコッチ攻防戦を終えたケンヤたち…、蒼いそよ風の四人と竜一頭と鳥一羽がドゥークデモアーのエメラルドの力でワープしてきた。
「ほえっ、ひ、姫様、お、お疲れ様でございますのん! どちらからですのん?」
「ノリコッチ大聖堂からですわ。…ホリーさん、ここの皆様はご無事ですか?」
レルリラ姫がホリーに尋ねた。
「ほええ、ワルジャークも、無抵抗のひとに関しては、自らも加護を受けるゼプティム一〇八神の神殿群にはさすがに手出しをしないようですのん。でも抵抗したものは…やられちゃってるのでございますのん…、ほぇぇ…。ここの人は、神殿長トティも祖父ジージもここの神官たちも、他のゼプティム神殿や自宅にいる、王城に仕えていた方々も、抵抗をしない者に関してはみな幸い無事と聞いておりますのん」
ホリーの言葉にケンヤはそれはよかった、と言った後、
「こっちはひとり無事じゃない人がいるんだ、ホエーさん、こないだオレが寝てたベッドは空いてるだろうか?」
と言った。
「ほええ、ホエーじゃなくてホリーでございますのん…。ほえっ!」
みるとアルシャーナが、気を失ったガンマを抱きかかえている。
ガンマの生命維持魔法が弱まっている影響なのか、ガンマの髪はいつもより随分黒くなっていた。
「あいております! アルシャーナ様、さあ早くガンマ様をベッドへ!」
会話に割り込んでそう答えたのはドゥークデモアーのエメラルドの移動音を聞いて駆け付けたジージだった。
「ほえ、おじいさまですのん」
「ホリーや、今日もがんばってるね」
「ほえぇ、おじいさまぁ??」
「ジージさん」
「ケンヤ様、他のみな様はご無事ですか」
「ああ」
さらに、ジージの隣にもうひとり、ビキニの僧衣をまとった少女が登場した。
「わらひにお任せくらはい。このお方がガンマ様れすね。皆様のことはジージからみんな聞いておりますれす。ガンマ様のこの症状は特殊れすが…良いお札(ふだ)があるのれす」
「この方は?」
少女のちょっとセクシーなビキニのローブ姿に若干驚きながらケンヤが聞くと
「ほぇえ、ご存じないのですのん? 有名な方でございますのん」
「わたくしとぴちくりぴーのお友達ですわ」
「ぴい」
と、ホリーとレルリラ姫とぴちくりぴーが言った。
さらにジージが続ける。
「はい、このお方は、ロンドロンドの全神職の頂点にたつお方。ここロンドロンドガーデンプレイスに群立するウイングラード騎皇帝立聖神宮殿群『バッキングミ神宮殿群』を統括する総大司教様、偉大なるヌヌセちゃん。まだ十五歳でございます」
「なのれす。偉大なるヌヌセちゃんれす。
ああ…、あなたにお会いできるなんて感激なのれすっ!
幼い頃からずっとずっと、わらひのあこがれの…ケンヤ様っ…!」
九才のケンヤよりふたまわりほども背の高い十五才の少女は、目を輝かせてケンヤの手を握った。
少女は頬を真っ赤に染めているが、ケンヤのほうも、だいぶ照れてしまった。
「え、ええと、あ、あこがれっ? ええと…偉大なるヌヌセちゃん…聞いたことある!」
名前や肩書きを聞けばケンヤも名前くらいは聞いたことのある有名人であった。
「そうなのれす、ケンヤ様にそう言っていただけて光栄なのれす」
あまりケンヤが詳しく知らなそうだったので、ジージが解説した。
「総大司教ヌヌセちゃんは、滑舌も個性的なのですが、ウイングラードの全神職を超越した神官能力、礼術能力、および魔法能力を持つため、昨年元服したばかりの十四歳の誕生日からロンドロンドの全神殿の最高峰、総大司教を務めております。本当はヌヌセ様と呼びたいのですが本人の強い意向によりみな、愛情をこめて「ヌヌセちゃん」と呼んでおります。そんなものすごいお方なのでワルジャーク達に何をされるかわかったものではないため、今はワルジャーク達から逃れて各所でお札(おふだ)を書く日々を過ごしております。今日はたまたまソレイン宮でゆっくりしておられました」
そしてヌヌセちゃんがそれに続き答えた。
「そうなのれす。それはともかく、ちょうど、よいお札があるのれす。誰か生命力の高い方がひとり、隣にいれば、わらひの札術を使ってガンマ様を回復させられますよ。しばらくガンマ様とその方とわらひで、川の字になって寝てもらわないといけないのれすが…」
「川の字?」
「川の字れす。最初は川の字で、礼術とお札を仕掛け終わったらわらひが外れて、その方とガンマ様で、?の字になって何日か」
「何日か…か。…じゃあ、わかった。あたしが行くよヌヌセちゃん。そういうわけだから大将、ガンマが回復するまであたし付き添うから」
「よろひくなのれす、アルシャーナ様」
「ありがとう、じゃあ行こうヌヌセちゃん」
「ではケンヤ様。お話しできて光栄でしたのれす」
「こちらこそ。ガンマを…よろしく頼むよ」
「それから姫様、ぴちくりぴー様、こんどまたお茶するのれす」
「ええ、またですわ、ヌヌセちゃん」
「ぴいぴい」
そんなヌヌセちゃん達の会話を聞きながら、ガンマを抱きかかえたアルシャーナは、かつてケンヤが寝ていた高い天井のある一室に足早に向かった。
そのあとをヌヌセちゃんも追ってゆく。
ジージは、アルシャーナと総大司教ヌヌセちゃんの去るうしろ姿を見送りながら、
「ウイングラード聖騎士団のアッカ隊長やレックスはどうしましたか?」
と、ケンヤに聞いた。
「うん、ジージさん。…港町ウェディフの戦いでウェーラ領全域がウイングラード騎兵団の強い兵たちに取り戻されたっていうので、アッカさんたちはその人たちと合流に行ってるよ。そんなに強い若手がいるならその人たちを聖騎士に加えるための試練を急いで試したいって言ってた」
「そうですか、この戦いでは聖騎士の命も複数、失われていますしね。この…ペックの父とかも…」
ケンヤとジージはそんな会話を交わしたが、その会話は三歳児の泣き声にかき消され気味になった。
「かいじゅう、かいじゅうまたきたあああ、こわいいいい!!」
ギャアアアア、と、トムテをみたペックは大騒ぎである。
ぴちくりぴーが、ぴいぴいぴい、となだめている。トムテはペックの新たな父・レックスの相棒なのだから初対面ではないし何度も会っているのだが、なかなか慣れない。三歳児なんだから仕方がない。
「えっぐ、えっぐ…」
こわくないんだぜ、とペックににっこり笑みを投げたあと、トムテはホリーに
「レックスの旦那は、いるかい?」
と聞いた。
「ほえっ、あの姫様が大好きすぎるおっさんですのんね…。懺悔室で神殿長トティ…つまりわたしの父とチェスを打っておりますのん、まったくこの緊急時にのほほんとしたものでございますのん。ほえー」
「確かにあの旦那は姫様大好きすぎるよな…。じゃあ行ってくらあ」
懺悔室ってチェスをする場所じゃないだろうに、などと思いながらトムテは主人のところへ帰っていった。
レルリラ姫がそこで
「わたくしたちもガンマさんのところに行きましょう」
と言ったのを、ケンヤが引き留めた。
「その前にレル、話があるんだ、そのガンマのことで…。場所を変えようか」
門番のホリーや三歳児のペックがじっとみているので、ケンヤとレルリラ姫とぴちくりぴーは神殿内のロビーに移った。
◆ ◆ ◆
ソレイン宮の神殿内のロビーは、二月の寒気で冷え切っていた。
手袋を脱いで、マッチでロビーのストーブに火をつけながら
「ケンヤ…ガンマさんはなぜ目を醒まさないんですか?」
と、レルリラ姫が切り出した。
窓を少し開けてストーブのための換気をしながら
「レルがそのことを知らない理由と関係がある」
と、ケンヤが答えた。
「理由? なぜ知らないかというと…わたくしはその時…気を失っていましたから…」
「うん、レルはそのとき、ほとんど死んでたんだ」
「えっ!?」
レルリラ姫は脱いだばかりの手袋をぽたりと落としてしまった。
「えっと…、じゃあ、ガンマさんも鼠咬卿(そこうきよう)イグザードにやられてしまったんですか?」
ケンヤはレルリラ姫の手袋を拾いながら
「違うよ、イグザードは、レルが三文字魔法で倒したでしょ?」
と荷物袋から予備の手袋を取り出した。落としたものはあとで洗濯するのである。
「あっ…わたくし、倒せていたんですね。イグザードに攻撃魔法…双気陣(オーラブレイン)を使って、それからの記憶がなくて…」
レルリラ姫は、渡された手袋を握った。
「ああ、鼠咬卿(そこうきよう)イグザードもあのとき、ただ双気陣(オーラブレイン)にやられたんじゃなくて最後の力を振り絞ってレルに死へと導く呪いを仕掛けた。…だから共倒れに近かった」
「!?…それでわたくしも倒れてしまったのですね、じゃあ…ガンマさんはわたくしの呪いを解くために?」
「うん」
レルリラ姫は、ケンヤの視線が自分の綺麗な手に注がれているのに気付きつつ
「…そうですか…」
と、新しい手袋をつけはじめた。
「レルの生命が呪いによって尽きよう、尽きよう、としていた中で、ガンマは必至にいくつも魔法を使ったけど、なかなか呪いを消せなかったんだ。…だったらこれしかないってことで、ガンマは使ったこともない五文字魔法の最大の解呪魔法を使ったんだ」
「…!…」
「レルの呪いはそれで完全に解かれた。だけどガンマは未知の呪いと未知の大呪文に挑んだ影響で…。こうなったんだ」
「ガンマさん…」
「そうなった原因を考えてみようか? レル」
「…ケンヤ…怒ってるんですか?」
ガンマのことの動揺と、ケンヤのちょっとした言い方のトーンに押されて、レルリラ姫は手袋が左右反対になっているのに気付いた。着け直さないと…と思うが手につかない。動揺しているのね…。と、落ち着いて外す。
「…怒ってるとか怒ってないとかじゃなくて、いや怒ってるって思ってもらってもいいや。レル、これからオレ達が生き残るために乗り越えなきゃいけないことがあるんだ、今。
さっきのえーと、総大司教…のヌヌセちゃん?…の話では、ガンマのほうはそれほどは心配ないはずだ。まあちょっとは心配だけどあいつなら大丈夫だ。それ以上に…なんで今回、こうなったかなんだ」
「敵が強すぎました」
「そうじゃないんだ」
「そうですわ、だって相手はワルジャロンド軍の幹部ですわよ」
「そうだとしても、それだけじゃないんだ」
「………」
「あの戦い、オレもアルシャもガンマも前で戦えたのに、レルは制止も聞かずに、先陣を切って前に行って、イグザードにどんどん攻撃を仕掛けて行ったよね」
「ええ、たくさん修行をしましたから…お役に立てたと思っています」
「事前の作戦ではレルはうしろから華法や魔法でサポートって話し合ったじゃんか」
「いったんはそれで了承いたしましたが…、あの局面では時には前衛と後衛を入れ替える柔軟さも必要だって思ったんです」
「待って。ええと、把握してるはずだよね。全員で向かう敵の場合、この四人だったら基本的にはオレかアルシャが前に行けるときは、その二人が前衛なんだよ。より近接戦が得意なアタッカーなんだから。
あの時はそれで支障なかった局面だったはず。
それにガンマも杖を浮遊させた防御で、近接戦の戦闘術を心得ている」
「…わたくしはもっとやれるんだって証明したかったですし、そこについてはわたくしの実力を証明できたと考えているんです」
「全体の動きの中で役割を発揮できないと、かえって命取りになるんだ。そういう結果になったって…後になって気付いてないかな」
「…認めたくないですわ」
「…ちょっと考えてみて。直接打撃攻撃でアルシャとレルだとどっちがダメージ与えられるかな」
「アルシャさんですわ」
「敵と距離を取って味方に補助魔法をするのは、誰がしたらいいのかな」
「ガンマさんかわたくしですわ」
「それでもレルが近接戦することにこだわりたかった?」
「…はい」
「なんでかなあ?」
「ほら、わたくしにも出来るって、思われてない。
それを覆せないともっとお役に立てないって思ってるんです」
「チームってさ、ひとりひとり役割を果たすことで機能するんだよ。そう考えられないかな」
「……」
「…もう一回敵が来ても、あんな戦いをするつもりなの?」
「できたら…そう出来ないか、ご相談したいのですが」
「…それで死んだらどうするんだよ!」
「死んでませんし…」
「ほとんど死んでたんだって!」
「…そう…そうだったのですよね…。でもわたくしも蒼いそよ風の一員です。そういう覚悟も…」
「そういう覚悟って死ぬ覚悟のことか? レルはそういう覚悟はしてほしくないんだよ!」
「そんな、特別扱いしないでください!」
「あんた姫なんでしょ、わかってんのかよ!?」
「そういう…そういう怒り方…しないでください!」
「……」
そう言われたケンヤは少し、呼吸を整えて、
「わかってほしい…」
と言った。
「わたくしが姫とか姫じゃないとかより、世界を救うほうが先ですし、救う覚悟がわたくしにはあると思っているんです」
「王様も捕らわれてしまったし…、この世界やウイングラードには、レルが必要なんだよ…」
「じゃあ、はっきりと言わせてください」
「なんだよ」
「もっと…前線で戦いたいです」
「…チームには役割ってものがあるんだよ…」
「もうわたくしもそういう役割が出来るのです、わからないですか?」
「レルこそ…オレの言ってることわからないか? それとも何か?
レルが…例えば、ライトやヒュペリオンやワルジャークと、真正面から戦う役割をするっていうのか?」
「難しいかもしれないですけど…その通りです」
「いやいやいや!」
「いやいやいやじゃないのです」
「難しいかもしれないってわかってるなら、そこを考えないか?」
「でも、わたくしの気持ちをもっとわかってほしいのですケンヤ」
「うん、そういう気持ちも大事だし、レルは役立ってるし、もうどう言ったらいいかわからないくらい感謝してるし、評価もしてる。尊敬してるよ。…でも、だからこそ、よりうまくやろうって話でもあるんだってば」
「わたくしなりにそういう、うまくやりたいってことを考えてのことなんですけど…」
「……」
「………」
少しの静寂。
「よし、もう今日は休もう? レル…。
それが本気なのか、実戦の動きを想定してもう一晩、考えてくれないか?」
「…………」
「………」
「…よおおく…わかりました」
「わかった?」
「もっと、わからせなきゃいけないとわかりました」
「…何を?…」
「特別扱いされるというのならされるで、その立場であえて申しましょう。
わたくしが姫であるなら、そしてわたくしの力で世界を救えるなら、
身分の差で示すしかないでしょう。
姫の名において命じます。わたくしをもっともっと前線で戦わせてください。
このレルリラ=ウイングラード=ワースレモンが、ケンヤ=リュウオウザンに命じます!」
「…レル…」
「今日はどうしたんだよ…そんなこと言うなんて…」
「どうですかケンヤ=リュウオウザン、返事をするのです」
彼女が王族のしぐさで自分の主張をここまで示してくるのは、ケンヤの前では今までなかなかなかったことだった。
ケンヤは少し目を閉じてから、また目を開いて言った。
「じゃあリーダーとしてはっきり申し上げるよ」
「はい」
「だ・め・だ!」
「!!」
「…それで死んだら何にもならないだろ…。この旅で、たくさんのウイングラードの国の人たちに会ったよな」
「…はい…」
「ウイングラードだけじゃない、世界中のたくさんの人たちがレルリラ姫を慕っているんだ。
知ってるよな」
「…ええ…」
「ウイングラードを救うために世界中から集った下界防衛隊も来てくれた。みんな笑顔でウイングラードが解放されるのを待っているんだ。
みんなひとりひとり生まれてきて必死で生きて、これからも生きて死んでいく。
その、世界の重さを感じないか?
そんな人たちの笑顔を守るのが、あんたの使命じゃないのか?」
「…使命…」
「たのむレル…。自分の身分を考える前に…自分の使命を…! 世界の重さを! わかれ!」
「…世界の…重さ…」
「たのむよ…レル…わかって…」
…さわぁ…。
いつの間にか、レルリラ姫は風に包まれていた。
さっきまでどんどん意固地になっていた自分の心が、ケンヤの言葉で解きほぐされてゆき、彼女を包む風によって放たれてゆくのを感じていた。
「なんでもするから!」
ケンヤがそんな決定的なことを言ったので、乗ろうと思ってしまう。
「…ほんとですね?」
「ああ! 絶対にわかってもらわないと!」
「…ケンヤったら…」
「絶対に絶対にわかってもらう!」
「…お願いされてするんじゃなくて、心の底からわからないといけないですよね、そういうことは」
「…じゃあ…」
「…わかりました」
「わかってくれた?」
「ええ」
「やった!」
「こちらこそ、わがままを言いすぎちゃいましたわ、ごめんなさい」
「ああ…なんでもするって言っちゃったからなにを言われるかと思った」
「さっきのケンヤの言葉だけで値千金の価値がありますからこれ以上は望みませんわ」
「ぴいぴいぴい、ぴいぴいぴい」
「なんかぴちくりぴーが抗議していますわね、もっと何か要求しろってことでしょうか」
「よかった、すぐわかってくれて」
「じゃあ、一応覚えておいて。もしもの時に『あのときなんでもするって言った』って、役立つかもしれない」
「一応…忘れませんわ」
それからレルリラ姫はどっと安堵して、少し、ハンカチで目元を拭いた。
「確かに…たくさんの人に会いましたね…。生きて姫をやっていくことも確かに使命なんでしょうね…。ずっとわかっては、いたんです…。取り消しますわ、さっきケンヤに命じたのは」
「…オレも…ごめんレル…、泣かしちゃって…」
「いいんです。わたくし、焦っていたんです。本当はわかっていました。戦力として自分だけ心もとなさすぎるってこと。でもこのままじゃいけないって…、がんばったらそこそこ実力がついてきたので、それで、勇み足、しちゃったんです」
レルリラ姫は両手を出して、ケンヤの右手をぎゅっと握って、それからもう一度。
「ごめんなさい…」
と、言った。
「わかってたんだ」
「ええ」
誰かの体温を感じられるということは崇高なことだ。
レルリラ姫はそう思った。
ぎゅっと握ったケンヤの手のひらから、熱い血潮のぬくもりを感じる。
「あの場面も、ほんとは作戦通りやんなきゃいけなかったですね…。本当はわかってました」
それからレルリラ姫はケンヤの手を揉むように、撫でた。
「…これからは作戦通りにしよう。レルの実力もついてきたからこそ、みんなでうまくいくようにしていこうぜ」
「わかりました」
「それから、わかってくれたからこの話ができるんだけど…、やりたくてもやりたくなくても、避けてもイヤでも、近接戦になってしまうことはあるよ。その時にもっとうまく戦う方法ってのはある。それってやっぱり補助魔法なんだ。攻撃力だって魔法で一時的に上げられる。
事前に補助魔法をかけたら、もっと乗り切れる。だってレルはさ、それができるだろ?」
「それは…そうですよね?」
「わかってた?」
それはつまり、補助魔法なしですでに強いという人がいるなら、そっちが先に動いた方がいいということにもなる。
これも当たり前のことだ。レルリラ姫は、やっぱり、わかってはいたのだった。
「ああ…そうなんですね…」
「どっちなんだよ、今わかった?」
「もう…どっちでもいいですわ!」
ちょっと微笑んだレルリラ姫が握った手を離すと、ケンヤはすこしそれを惜しいとも感じた。
「レルはレルじゃなきゃ出来ないことがめちゃめちゃたくさんあるから」
「ええ」
ケンヤとレルリラ姫は、互いに思わず、離したばかりの自分の手のひらを見つめていることに気付いた。そして、少し、微笑みあった。
「…それに、ウチでも役立ってるのも確かだよ」
「もちろんですわ」
レルリラ姫は、さっきまでケンヤの手を握っていた手のひらを、自分の頬に当てた。
ケンヤと、よりわかりあえた気がする。
「よかった。わかってくれてありがとうレル」
ケンヤも自然と、さっきまでレルリラ姫の手を握っていた手のひらを、自分の頬に当てた。
仲間って本当に、いとおしいものだ、と感じていた。
「ガンマさんが良くなったら、ガンマさんにお礼を言わなくちゃ…」
姫だからこそできることがある。役割がある。
レルリラ姫の中で何か、スイッチが入れ替わったような感覚がした。
この戦いが終わったらもしかしたら…自分は蒼いそよ風から離れるのかもしれない。
そう思ってからレルリラ姫は、自分の考えが少しケンヤの考え方に近づいているのだな、と考えていた。
◆ ◆ ◆
ケンヤとレルリラ姫の話が終わったあたりで、さきほど「親友の、ほんともう大事なもの」なる物を自宅に取りに行っていたマリザベスがロビーに入ってきた。
ついてくるようにペックも一緒に入ってきたが、ペックはおやつおやつー、と言いながらそのまま、メシトゥクータ料理長という凄腕のコックのいるキッチンに走っていった。
マリザベスはロビーに入ってすぐにレルリラ姫とケンヤに一礼をしながら、
「あ、あらやだわっ、ほ、ほんともう、お帰りなさいませ、姫様、ケンヤ様、はぁ、はぁ」
と、はぁはぁ肩で息をしている。
「門番のマリザベスさん、どうしたんですの? 息を切らして」
「あ…蒼いそよ風の皆様は…このあとワルジャロンドの主力勢力と対決されると聞いていますが、本当かしら? ほんともう…」
「うん、ほんとだけど、もう」
なんとなくここは、言った言葉に「もう」も足さないといけない気になって付け足すケンヤである。
「あらやだわほんともう! ならば…先ほどロンドロンド城主に戴冠した狼星王ライトという少年とも、今後、お会いになりますか?」
「えっ? ライトか…。うん、そのつもりだけど…戴冠だって…? そんなことになってるのか」
「ほんとですもう…。ではお願いがあります。私の幼なじみで親友の…、今は亡きルツィエ=スターレイザーの、ライトへの手紙を、ライトに渡してほしいのです。本当はもう、私がそうしたいのですが、総大司教様のヌヌセちゃんが解呪に専念されている状況のこの宮をお守りしなければいけない今、門番としてソレイン宮の門から離れるわけにはいきませんので…、ほんとにもう…」
「ルツィエさんだって? …知ってる…蒼い風にいた騎士(スクワイアー)の女の人だ。むかし旦那さんを亡くしたって聞いた。それからルツィエさんも、あの邪雷王との戦いで蒼い風が全滅した日に…亡くなった」
「その方がライトに手紙を残していたんですか?」
「ええ…。ルツィエはライトの、実の母親なんです。ほんともう…。…詳しいことをお話ししますね」
◆ ◆ ◆
「ライトの母、ルツィエは私とは、ほんともう大の親友だったんですよ。
親友になったきっかけは…。ほんともう、私が七歳のころね。ルツィエと同じ都に住んでた時期があるんです。
私の父・ヨーホルはゼプティム一〇八神の神像を彫ったり曼荼羅を描いたりする芸術家でね、ほんともう色々な国のゼプティム神殿に神像や曼荼羅を製作するように頼まれていたので、私も親に連れられて、ほんともうあちこちの町を引っ越して飛び回っていたの。ルツィエがいたのはチェロバスというエウロピア連邦にある小さな王都。私も七歳の時にそこに来たんです。ほんともう。
ライトの母で私の親友…ルツィエは、かくまわれて暮らしていたの。彼女は星のエレメンタルを持っていたので、様々な勢力からほんともう狙われる危険があるというのでね。チェロバス城の中の礼拝堂の地下に、女王の名のもとに秘密裏に作られた地下十階のとても大きな僧院があって…チェロバス・ラヴラ大僧院といったわ。そこでほんとうにもうひっそり暮らしていたの。
大僧院(ラヴラ)には、ほんともう独自のコミュニティが作られていてね。ほんともう色々なところからやってきた星のエレメンタルを持つ人がほかにも、もう何人もいました。彼らで構成された深壮騎士団という極秘裏に活躍する騎士団もいたの。
私の父・ヨーホルが請け負ったのはその地下の大僧院(ラヴラ)で、ゼプティム一〇八神像すべてを作るという、ほんともう大仕事だったんです。どれもほんともう大きな立派なものだった。父がその仕事を終えるまで十年かかったわ、ほんとにもう。それだけの神々の加護をもって星のエレメンタルを持つ人たちをほんとにもう守らなければならなかったんですね。
星のエレメンタルについてご存じないのですか? あらやだわ。あらやだ。そうですか…。そうかもしれませんね。そうやって誰にも知られないよう守られてきたのですから。
星のエレメンタルというのは一定の層から何か、とてつもない利用価値?があるそうなのです。ほんとにもう。
地下の大僧院(ラヴラ)は星のエレメンタルを突き止められないよう、建物自体にエレメンタルの力が漏れない魔法がかけられていたから安全だったのよ。
私はチェロバス・ラヴラ大僧院に来た七歳の頃から、父の道具持ちをしたり手伝ったり、それから槍の教官をしていた母・ノーシェンや、僧院長や神官や騎士の方々に武術や勉強を教わったり、ほんとにもうって言う回数を減らすように指導されたりしながら過ごしていたわ。だいぶ減ったわ。ほんともう。
そのとき、一緒に勉強してたのがルツィエだったの。ほんとにもう同じような年齢の子はあまりいなかったから私たちはすぐ仲良くなったわ。ほんともういろんなことを学んだし、剣術や槍の稽古もしたし、将来の夢についても語り合ったんです。
それから…十四歳になって、ルツィエは元服と同時にチェロバス深壮騎士団に入ったの。ほんともう。
私のほうはというと、父ヨーホルの神像を作る仕事は私が十七歳になるまでほんとにもう続いたんだけど、私は十四歳で元服して大人になったらひとりチェロバスの都を出たの。
ほんともう、ひとりで仕事につけるようになったから、父の実家のあるウイングラード王国のロンドロンドに戻って、神殿のネットワークのつてで、ロンドロンドガーデンプレイスのバッキングミ神宮殿群の兵になったってわけです。それが今のここの門番の仕事につながってるの。最近旦那も子供もできたしね。
私がチェロバス・ラヴラ大僧院を離れても、ずっとルツィエとはほんともう仲良しでね、ずっと手紙のやり取りをしたり、時々会いに行ったりしてたのよ。
蒼い風の人たちは…私が当時知っていたのは、ケンヤ様のおじいさまの代のゼファー様の隊だったけど、やっぱり星のエレメンタルを守るためにチェロバスの地下聖堂の存在が見つからないように本当にそれはもう多大な協力をしてくれていたわ。
それでルツィエは、チャラリーさんっていうほんとにもう筋肉質の五つ年下の少年と大恋愛をしてね。禁忌と言われていた「エレメンタルへの封印」まで施して、蒼い風に入っちゃったの。当時の蒼い風の隊長のゼファー様の理解もあってのことだったのよ。
でも、ルツィエとチャラリーさんの結婚の時には、チェロバス・ラヴラ大僧院の僧院長も副僧院長も神官たちもほんともう大反対したらしいわ。ふたりが結婚したら若い夫婦に大きな災いが起こる。子供には大きな困難が起こる。何度占っても同じ結果が出る。そう言ったそうなの。やだわ。
その、災いとは死、困難とは生存。そういう、ほんとにもう、運命の分かれ目を言い切る神官もいたらしいんです。
でもルツィエは自分の道をほんとにもう曲げずに蒼い風に入って…、チャラリーさんはその翌年元服して、同じ年に子供が生まれたの。
ライトが生まれた日…。魔王が蒼い風を襲ったわ。ライトは星のエレメンタルを持って生まれたのでほんとにもう隠さなきゃいけなかったのに、生まれたばかりでエレメンタルを封印する前に、あっという間に魔王につきとめられてしまったの。
ライトの父・チャラリーさんは、ライトをさらう魔王に立ち向かって命を落としたわ…。
そのとき何度もライトの名を呼んだらしいの。 だからその赤ちゃんはそのままライトと名付けられたんだわ。…チャラリーさんの星導聡流剣(せいどうそうりゆうけん)が魔王の体にほんとにもう深く貫いたまま、魔王は倒れもせずにライトを連れ去ってしまった…。
最愛の赤ちゃんと夫を失ったルツィエの苦しみは、もう本当にとても語りきれることじゃないわ。
でもルツィエは諦めないで、蒼い風の一員として世界を旅しながら、ほんとにもう最後までライトを探していたの。でも不吉な占いが出ていたからね。きっと自分の死も、もしかしたら蒼い風の壊滅も、うっすら予感していたんだと思う。
ルツィエがわたしにライトへの手紙を託したのは、ケンヤ様のお父様の…ジン様の隊の蒼い風が崩壊した、ほんとにもう一か月ほど前だったわ。霧の強い日に直接このソレイン宮まで、この手紙を渡しに来たの。
『大きな戦いが迫っている。もしもそこで自分が死んだら、そして自分のかわりにマリザベスがライトを見つけることができたら、彼にこの手紙を渡してほしい』って…そうルツィエは私に頼んだの。
私は「あらやだわほんとにもう何を言ってるのルツィエ、あなたほんとにもう疲れてるのよ、カラオケでも行きましょう」って誘ったんだけど、断られちゃってね。
あの子は私をぎゅっと抱きしめて『お願いね、わたしの親友マリザベス』って…、そう言ってルツィエはそのままブルーネイル島の蒼い風の基地に帰っていったわ。
それが…、あの子と会った最後。
それでわたしは親友を失って、彼女の遺志を継いでライトを見つけたいってほんとにもうずっと思っていたの。そしてこの手紙を渡したいって…。でもライトってドカニアルドでは珍しい名前なのよね、そんな名前の人、ほんとにもう今までどこにもいなかった。
たった今、知ったの。ライトはワルジャークのところにいたのね。やだわ。
きっとあの日、ワルジャークが産まれたばかりのライトをさらったんだわ。
あの子は…あの星導聡流剣がどういう剣なのか知っているのかしら…。
どんな思いでお母さんが自分のことをほんとにもう探し続けていたのか知っているのかしら…。
お願いです姫様、ケンヤ様。
ほんとにもう、どうかライトにこの手紙を。真実をあの子に伝えてください」
◆ ◆ ◆
マリザベスの話が終わる頃には、マリザベスとケンヤとレルリラ姫はそれぞれ涙を浮かべてしまっていた。
こうして、ルツィエの手紙は、託された。
|