#30 ライトとイグザード
ここは砕帝国ワルジャロンドのルンドラの街。
高くそびえ立つディンキャッスルの鋼鉄の黒壁に、朝から白雪がぱらぱらと降りかかって照明のように黒壁を照らし、コントラストを魅せている。
だがディンキャッスルを照らす照明(ライト)は雪だけではない。
濃黄色の髪を輝かせ、人の方のライトも帰ってきた。赤虎臣ヒュペリオンも一緒である。
「おお!ライト様だ!」
「おお!家出から帰ってこられたライト様だ! おお! あとヒュペリオン様も!」
「お帰りなさいませライト様!」
「ライト様おみやげください!」
「おみやげ様ライト様ください!」
「逆だ!」「逆だ!」
「自分はライト様の方が!」
「ライト様をどーする気だ!」
「ライト様は自分にどーされたいですか!」
「ライト様!」「ライト様!」「ヒュペリオン様!」
アホの子の兵たちが次々に声をあげるのを、ヒュペリオンが制した。
「持ち場から離れるな、兵たちよ」
ボケに対する突っ込みが入らないことに若干しょんぼりしつつ、兵たちは、はっ、と敬礼をした。そんな兵たちにライトは、
「兵たちごめん、ワルジャーク様に謁見するから…、急いでるんだ。あとヒュペリオンも、ここまででいいよ」
と、声をかけた。
「真実をすべて…ワルジャーク様に聞いてくるのだな、ライト」
「…ありがとう、ヒュペリオン」
ヒュペリオンはライトの頭に、ぽん、と手を置いた。ライトはヒュペリオンにわずかに微笑んで、それからばさりとはマントを翻(ひるがえ)し、ディンキャッスル領主特務塔の一階を足早に進んだ。
そしてライトはワルジャークとの謁見に向かった。
◆ ◆ ◆
「ライトさまぁーっ!!」
ワルジャークとの謁見を終え、ディンキャッスル地下の自室に戻った少年に、ネズミの獣人のイグザードが抱きついた。
イグザードがライトを鎧ごと力一杯に抱き締めると、うう、というライトの声が漏れた。少年は、消耗していた。
「ど、どうしたでちゅかライトさま」
と、心配そうにイグザードがライトの顔を覗き込む。
ライトはイグザードのもふっとしたネズミの耳の感触の心地よさが離れたことを少し残念に思いながら微笑み、ワルジャーク様に稽古つけてもらったんだ、と、黄金の鎧を一枚一枚脱いだ。そして、すっ、と浴室をみた。
察したイグザードは、てててて、と浴室に走って行き、いつものように給湯魔導器のお湯はりボタンを押した。
◆ ◆ ◆
「ライト様が……いけないんでちゅよ」
稽古で痛め付けられた少年の肌に掌を当て、それからぺちっと少年の尻を叩いて、そう少女は言った。
そして一糸まとわぬ姿のライトの身体が、イグザードの手慣れた手つきによって泡立てられてゆく。
「ごめんよイグザード、どうしても、世界を見たかったんだ」
温流が降り注がれた。
傷口に染み込む泡たちを剥がれ落としてゆく四二度の熱量を感じながら、ライトは先の突如の家出を詫びた。
「世界を見たかったんでちゅね、全裸で」
「全裸なのは今だけで…お風呂だからだよ」
イグザードのいつもの全裸発言に、ライトがイマイチ切れの少ない突っ込みを入れる。
「ちゅーことだったんでちゅか。人類をみなごろちにするためには、世界を知ることも必要なんでちゅね。そう判断したのはライト様の狼星王の資質なんでちゅよ、きっと」
イグザードはいつものようにそう言って、ネズミ色の耳をぴこぴこと動かした。ワルジャークは世界を統べ、民を教育するとは言っているが、皆殺しにするとは言っていない。「人類みなごろち」はイグザードの持論なのだ。
「イグザード、世界は、悪くなかったよ。出会った人たちも」
ライトはそう答えつつ、自分のその発言が自らの心の傷に染み入るのを感じた。
◆ ◆ ◆
お風呂上がりにライトはいつものようにイグザードに拭かれ、着衣の後に部屋の変化を見渡した。大きな曼荼羅と、まとめられたイグザードの私物の荷物が目についた。
ゼプティム界全一〇八神の描かれた大きな曼荼羅(まんだら)は、先日ヒュペリオンからも話題にあがったものだ。その一柱一柱の姿をみていると、神々の名前が浮かんでくる。界主ゼプティムと神界神カーンゼプロスの二創造神を中心に、十超神、四十八聖神、四十八邪神。その中にはワルジャークの力源・破壊神コロスクロスもいる。
さらには、白狐帝レウの信仰する白氷神ホワイティ―ミックの姿も見つけて、ライトはたまらなくなった。
「これ、さっき届いて、ここに掛けたばかりなんでちゅよ。ライト様にプレゼントでちゅ」
「ありがとうイグザード、この曼荼羅、欲しかったんだ。一万もしたんだって?」
「よくご存じでちゅねえ」
「ああ、ヒュペリオンが教えてくれたよ。それにワルジャーク様も…いろいろ教えてくれた。いま何が起こっているのか、我々が何を起こしているのかも」
「いろいろライト様も、ワルジャーク様に大人の仲間入りを認められたというわけでちゅね」
「…未熟さを痛感するばかりだけどね」
「ライト様、実は、ちょっと言わなきゃいけないことが出来たんでちゅ。荷物を、まとめさせていただきまちた。戦陣が…呼んでいるんでちゅ。実はライト様がいなくなってここ数日、ノリコッチの戦局をときどき手伝っていたんでちゅが…ついに防衛を任されることになったんでちゅ」
イグザードは、ライトのメイドを辞することになったのだった。
もしかして…ワルジャーク様がもう…僕に隠し事をしなくても良くなったから、イグザードは行ってしまうのかな? そう思ったライトだったが、そういうことではなかった。
ノリコッチとは、砕帝国ワルジャロンドにおけるウイングラード本島の東側にある街である。ノリコッチ大聖堂という巨大な聖堂が名高い。ワルジャロンドの東に広がる広大なアユラシー大陸や、多数の民族都市国家が集うエウロピア共同国家連邦にも近い地域にある。そんなノリコッチは、いわばワルジャロンドから見て「外国」に最も接近した位置にある地域のひとつといえる。
ライトが留守の間、ノリコッチの守護を手伝っていたイグザードは頭角を現し(ねずみには頭角はないんでちゅけど)、正式に鼠咬卿(そこうきょう)イグザードとしてライトの付き人を辞して、エウロピアからの防衛の要衝であるノリコッチの守護のトップを任されることになったのだった。
「ライト様。ウイングラードが魔王の手に落ちた、と知った他の国々は、はいそうですかわかりまちた、とはならないのでちゅ。この事態を覆そうとするエウロピアの軍勢たちが、我が砕帝国ワルジャロンドの拠点を叩き潰そうとしてきているのでちゅ」
「このワルジャロンドが、国がもたなきゃ、僕の身の回りどころじゃないものね。そうか…イグザードの力が必要な時が来たんだね。うん…こういうときに君は、強い力を発揮できる実力を持っている」
「ライト様もでちゅ。お互いにわが軍の重責を担うんでちゅ。いっしょにがんばるでちゅ」
ライトもワルジャークに次の作戦に召集されている。今まで蚊帳の外にされていたライトにとって大きな出来事である。ワルジャークは「下界を統べる」と言った。そのための戦いが始まっているのだ。
「じゃあもう、ノリコッチに行ってしまうんだね、今までどうもありがとう。鼠咬卿(そこうきょう)イグザード」
そうライトが言うと、鼠咬卿イグザードは
「こちらこそ、たくさんの素敵な日々に感謝いたちまちゅでちゅ。ねずみだけど、いたち…まちゅです。狼星王ライト様」と答えつつ、それからさらに発言を続けた。
「ただね、ノリコッチには行かなきゃならないんでちゅけど、実は厳密にいうと、ノリコッチの前に行かなきゃならないところがあるんでちゅ。実は、巨魔導鬼ソーンピリオ先生の手伝いを頼まれていまちて、手伝ってきまちゅ」
そう言ってイグザードはテーブルのチーズをかじった。
砕帝王将ワルジャークの腹心に、巨魔導鬼ソーンピリオという、角(つの)なき鬼の魔王がいる。イグザードの師匠である。
下界暦九九四四年、かつてワルジャークが魔王の力を手に入れ、その翌年より二年間エウロピアおよびウイングラードを支配した時代、ワルジャークの元妻や、ヒュペリオンらとともにワルジャークを支えた部下のひとり。それが巨魔導鬼ソーンピリオである。
ソーンピリオはヒュペリオンとは異なり、その時期の戦いで多くの戦闘能力を失って長らく隠居し、以降は後進の魔王学を学ぶ者たちの指導に専念している。ちなみに黒獅将ディルガインにルンドラの副領主を任されているフェオダール公爵もソーンピリオの指導を受けたひとりである。
そしてソーンピリオは、現在はワルジャークのもくろむ邪雷王シーザーハルト復活計画のプロジェクトを推し進める重要な役割も担っているのだ。
「イグザードは、巨魔導鬼ソーンピリオの手伝いもするのかい? 何をするんだい?」
「ソーンピリオ先生はかつてはすごい魔力を持っていたらしいでちゅし、いまも後進を育成する指導力は素晴らしいのでちゅが、いかんせん今は老いていて、邪雷王シーザーハルト様の封印を探し出すというミッションの結果がなかなか出なかったんでちゅよ。だけどでちゅね、ついに、やっと目星がついたんでちゅ。だけどそのためには、戦うための人員がいるんでちゅ」
「…それで君が呼ばれているのか。…どこへ行くんだい」
「ブルーネイル島でちゅ。そこに最近出来た拳法の道場で、赤鳳拳聖ヘルメスとかいう男がシーザーハルト様の封印を隠しつつ守っているらしいんでちゅ。今回はそいつを倒ちて封印を奪うっていう簡単なミッションでちゅ」
「ブルーネイル…ふーん」
赤鳳拳聖ヘルメスというのは昨年の第四七回ドカニアルド武闘大会の優勝者である。蒼い風とも縁の多い人物でもあったため、最近こういう役割を託されたわけなのだが、イグザードもライトもそこまでの知識はない。
ブルーネイル島についても解説が必要だろう。この物語でもかつて回想で描かれたように、下界暦九九八三年に邪雷王シーザーハルトを封印したのは、当時の「蒼い風」長老のイリアスである。かつて「蒼い風」を創設したフウラという男はかつてその島にあった、ブルーネイル王国という国の王子だった。
ブルーネイル王国はとうに滅亡したが、そういう歴史からいって、邪雷王シーザーハルトの封印が現在ブルーネイル島で守られていることがわかったということは、体制的にいっても整合性が見られるのかもしれない。
「まあ、わたちがブルーネイルに行っている間にノリコッチが手薄になるといけないでちゅからね、すぐに結果を出してノリコッチの守護にあたりまちゅ」
「くれぐれも気を付けてくれたまえ…。戦いが終わったら、またメイドして欲しいから」
「出世しちゃいそうだから、もしかしたらそれは難しいかもしれませんでちゅよ」
「そうか…そしたらそれを祝うよ。イグザード」
「ライト様も、重要な作戦が待っているんでちゅよね」
「ああ。当面の我が軍の最大の敵への、総攻撃が始まる」
「レウ様を破った…あの敵でちゅか?」
「うん」
「総攻撃?」
「うん」
「総攻撃なんてしてたら、ルンドラの警備は手薄にならないでしょうか、大丈夫でちゅかね」
「ディルガインが、副領主のフェオダール公爵に釘を刺していたよ」
「そうでちたか。だったら安心でちゅ。あのメガネもわたちと同じ、ソーンピリオ先生の教え子でちゅからね」
「すべてうまくいくといいね」
ワルジャロンド政権の中核を担うディルガインはルンドラの政治をフェオダール公爵に任せ、最大の脅威である風帝討伐作戦に邁進していた。ライトもイグザードも同様である。日常から離れ、前線に立つ必要があるのだ。
「すべてうまくいく…そのためには…ライト様、もう、迷いはないでちゅか?」
「…ないと言えば嘘になる…かな」
「駄目でちゅよ。戦いの最中での迷いは、隙をつかれて危険でちゅ。ライト様はこれからのおひとなんでちゅ。そのためにも、いまはとにかく生き抜くのでちゅ。弱い時期は死ぬ確率があるのでちゅ。みなごろちにされまちゅ。迷わず、成長を重ねなければ、強大な敵は、みなごろちにはできないのでちゅ。決して弱くはないでちゅけど、ライト様はもっともっと強くなるのでちゅから」
「そうだね…相手は、あの白狐帝レウを打ち破った相手なんだ」
「もういちど、ハグしていいでちゅか…?」
「お願いするよ」
もう会えなくなる可能性が、何パーセントか、あるいは二桁か…あるのかもしれない。そういう戦いなのだ。ふたりはハグをして互いの体温を感受し、記憶した。
「言おうか迷ったんだけど…イグザード。やっぱり君に伝えておきたいことがある。僕はさっきワルジャーク様に稽古をつけてもらった後で、重要なことを確かめたんだ。それはね、ワルジャーク様に、人をなるべく殺さないでほしいってお願いをしたってこと」
「…ライト様…」
「それでねイグザード。ワルジャーク様はこう言ったんだ。自分は破壊しかできない男だけど、ウイングラード本島を、エウロピアを、そしてドカニアルドを征服するということは、皆殺しにするということではない。民とわかりあうことは必要なのだ、だから教育するのだ。だからその願いは、わかった、なるべく殺さないってね。わかった…って、言ってくれたんだ」
「わかりまちた…。ライト様はそれで、これからもワルジャーク様の下にいてくれる。だからそれでいいでちゅ。わたちもワルジャーク様の下で働く者でちゅからね。たぶんこのあとワルジャーク様も、人類はみなごろちにすべきだと思い直すはずでちゅし、わたちの考えは変わらないんでちけど…いまは、わたちも、なるべく人類を殺さないようにしまちゅ」
「ありがとうイグザード」
抱擁が解かれた。
ちゅ…、と、イグザードはライトの頬にキスで返事をした。そしてくるりと背中を向けた。
そして少女は、こうも言った。
「でもこれだけは…はっきり言っておきまちゅ。いつかは…わたちは人類をみなごろちにするつもりでちゅから…」
「そのときはイグザード、僕は君と戦わなければいけないかもしれない」
断絶が、過(よぎ)った。
ライトはイグザードの唇の感触の余韻を頬に感じながら、そんな自分の発言に、今後の自分自身の道筋を見たような気がした。
イグザードはライトの頬の感触の余韻を唇に感じながら、少し振り向いて、悲しそうな表情で微笑み、それから部屋を出た。
お別れだ。
これで僕は、わたちは、行けるんだ。行けるんだ。
ライトは、イグザードは、自分に言い聞かせた。
それからライトとイグザードは、それぞれの戦場に向かった。
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