#24 陥落のロンドロンド
ぴいぴいぴい…。
ケンヤは、小鳥の鳴き声で目を覚ました。
小鳥のお尻が目をふさいでいる。…鳥くさい…。
「んん…どいてよ、ぴちくりぴー…」
ぱたぱたぱた…と、鳥がベッドサイドに飛び移った。
むくり、と、少年は身体を起こして、んんんー、と、伸びをした。
「…おん…?」
誰もいない広い部屋だ。高い天井。
壁側の中央に大きな神棚があり、ゼプティム神の神像が一体祭られている。あれはなんて言う神様だっけ。神様は、いっぱいいるからわからない。
「…神殿の…一室?」
広い…。
「ここはどこだろ…」
窓の外を見ると、遠くにロンドロンド城が見える。
「あっ…破壊されてない…」
あの戦いで天井は抜けているが、そのままであった。
ワルジャークは自分のことを破壊しか出来ない男と言っていたが、まだ破壊されていない。
だが、ロンドロンド城の上空に、ほぼ同じ内容の文字が浮かんでいるのを見て、ケンヤは少しため息をついた。
それからケンヤが枕元を見ると、ロンドロンドふるさとスタンプカードと書かれたダンボール箱が置いてあった。
中には、ダンボールぎっしりに、スタンプの押されたスタンプカードが入っていた。
ロヴィンポーク大伯爵が持ってきたのだ。
「意味わからん…」
ケンヤは極めて率直な感想をもらした。
「…あっ…」
続いてケンヤは、自分があれだけの大怪我をしたのに、傷口が塞がっていることに気がついた。それに、見覚えのないパジャマを着ている。
「お目覚めでございますね、ケンヤ様」
と言って、レルリラ姫の執事のジージがお茶を持って入ってきた。
「じいさん…ここは?」
「ここは、ロンドロンドガーデンプレイスの数あるバッキングミ神宮殿のひとつ、空間神ソレインヴァステスを祀る神宮殿『ソレイン宮』でございます」
ティーカップに、紅茶がそそがれてゆく。
「へえ…ソレイン宮…。…今日は?」
「 下界(ドカニアルド)暦九九八五年一月十七日の、朝でございます」
「…あれから…オレは十日間も寝てたのか…」
ケンヤは注がれた紅茶に、白い角砂糖を一個入れて、ウイングラードの紋章があしらわれたティースプーンでくるくるかき回した。
「さようでございます…。お身体の状態は、もうすっかり良くなったはずと、ガンマ様が言っておられました」
紅茶は、ほっとする優しい味がした。美味しい。生きてるんだな、そう思えた。
「そっか…。オレ、死んだかと思っちゃったよ。色々ありがとう」
「ケンヤ様、改めてお詫び申し上げます。あなたがたがロンドロンド城にやって来たときお引き止めしてしまったのは、わたくしの責任でございます。そのせいで多くの犠牲が出てしまいました…」
「…じいさんは悪くないよ、仕方ないよ。もしオレがじいさんの立場だったら、やっぱり、子供を危ないところにやろうとは思わないだろうしね」
ケンヤは二杯目の紅茶を注ぎながら、伏し目がちに言った。
「ガンマたちは?」
ガンマの心臓の鼓動は、近くに感じられた。
「レルリラ姫様とアルシャーナ様と一緒に、朝食前のトレーニングをしております」
「えっ、レルも?」
「はい、私としては一国の姫がこういうことになるのは心苦しいのですが…。ロンドロンド城まで陥落してしまったいま、姫様自身の安全のためにも、お願いしようという結論になりまして…」
「…ロンドロンド城…。王様たちは…どうなっちゃったの?」
「王宮を守る騎兵五十名は全員で敵に果敢に挑んだのですが、みなヒュペリオンの魔法により石化されてしまいました。
騎皇帝ドルリラ王様もワルジャークに捕らわれてしまいました。
それと…ウイングラード各地を守っていた残りの騎兵五十名や、他の兵達も皆、ここ何日かの間にヒュペリオンの手で石化されていたとの一報が…」
「…!…」
「でも…みんな、殺されてはいないんだね…」
「ええ、その通りでございますケンヤ様」
「じゃあ…救えるね」
「王と騎兵を失ったロンドロンド城は、陥落しました。
数々の名城を讃えるウイングラードの各主要都市も、戦闘能力を失いました。
城塞王国と呼ばれたウイングラード騎皇帝王国という一国は、もはや機能停止です。
ワルジャークはワルジャロンド建国を宣言し、民は、無税と、食べられるだけのジャガイモを提供してもらう引き換えに、絶対服従を強いられております」
ケンヤはロンドロンド城の上空に浮かんでいた言葉を思いだした。
「そう…」
「邪悪な暴力と、あんなイモなどで、ワルジャークは極めて効率的に、民を一方的に服従させてしまいました。恐ろしい男です」
「そうだね…」
「この国の民は皆、魔王によって陥落させられることは慣れておりますゆえ、とりあえず今のところは変わらぬ生活を送っております。
皆から尊敬を受ける王様が捕らわれ、聖騎士団に死者が出たことはみなショックを受けておりますが…。
それでも、支配され慣れているとはいえ、必ず正義が勝つとみな信じています。陥落は慣れていても、陥落がそう長く許された歴史というのはありません。
困難を、志(こころざし)ある士(つわもの)達の戦いで覆してきたのが、このウイングラードなのです。他の下界(ドカニアルド)の多くの都市も、そうですよね」
「…!…うん…」
ケンヤは、ジージの言葉に込められた期待を自覚した。
ケンヤも、父や先祖たちのような「志(こころざし)ある士(つわもの)達」がそうやって戦い続けてきたから、こうして世界が紡がれ続けていることを知っていた。
そして、それが自分達にも出来ることだということと、やらなければならないことだということも、知っていた。
ジージはそれを十分わかった上で、ケンヤにこんなことを言っているのだろう。
ジージは続けた。
「王城に仕えていた他の者達はみな、自宅やバッキングミ神宮殿の各宮等に避難しております。皆、うまく逃げることが出来ました。
ワルジャークに挑んだ騎兵達が石化されてしまったのを見て、ドルリラ王様は、『他の皆は戦わずに逃げろ、あとは聖騎士たちや、蒼いそよ風がやってくれる』と言ったのです。
ワルジャークやその配下は…我々を追いませんでした。
もしかしたらワルジャークは、我々を殺す気などないのかもしれません。抵抗さえしなければ…ですが。
そして、ワルジャークを知るドルリラ王様は、それを見越して、きっとこんな指示を…」
「ワルジャーク達も、オレ達がここにいることは知っているの?」
「それはわかりません」
「そっか…」
「王様も、オレ達のこと認めてくれたんだね」
「ええ、それはもう」
「じゃあ、やるしかないね」
「打倒ワルジャーク…ですか?」
「ああ、攻め込む」
ケンヤはぐっと、拳を握りしめた。
そのときである。
「そいつはちょっと待つんだな…」
「おん…?」
ドアが開いた。
「レックスさん…」
現れた聖騎士レックスは、松葉杖をついている。ディルガインとの戦いで負傷し搬送されていたレックスは、石化を免(まぬが)れた。
まだまだ傷は癒えないようである。
「ありがとなじじい、あとは俺が話すよ」
レックスがジージにそう言うと、ジージは一礼して席をはずした。
「…クソガキ、お前の強さは認めるよ」
「でも…まだ足りないって言うの? 強さが…」
「へえ、わかってんじゃないかクソガキケンヤ、その通りだ」
「この目で敵たちを見たし、この身で戦ったからね」
「いいかケンヤ、一人で戦おうと思うなよ」
「…うん…」
レックスの言葉には威圧感があるが、どこか優しいんだな、と、ケンヤは思った。
「よく聞けよケンヤ。聖騎士も、ユクシさんとカクシさんの二人は殺されちまったし、オーサとマッツの二人はあぶらあげに封印されちまった。そのあぶらあげは王様が持ってたから、結局は捕らわれの身だ。騎兵団も、百人もいながらみんな石にされちまった。
…だけどな、お前たちがいるし、俺がいるし、聖騎士にはさらにあと二人、とっておきがいる」
「うん」
「残ったみんなで行くんだ」
「そうか…そうだね…」
「だから、このソレイン宮に、連れてきてほしい」
「誰を?」
「残りの聖騎士、アッカ隊長とキャロットだよ。ペパーミンガムから移動して、今はストーンベンチにいるそうだ」
「ストーンベンチ…。遺跡群があるところだね」
「ああ、広大で大規模な遺跡群だ。あそこの遺跡群は広大すぎて、まだ発掘してねえ遺跡がいっぱいあるそうだ。秘宝とか魔導器とかよくわかんねえものがまだまだたくさん眠っているに違いねえ。
詳しい目的は聞いてねえけど、アッカ隊長は、ストーンベンチ遺跡こそが敵を倒すために行かなきゃならねえ場所だと踏んだんだろうな」
「…そんなところにいる人を見つけられるのかな…。誰が連れてくるの?」
「お前」
「う…うん」
「絶対に必要な戦力だ。だろ?」
「そうだろうけどさレックスさん…そのアッカさんもキャロットさんも、用事を済ませたら自分たちでここに来れるんじゃないの?」
「アッカ隊長ってのはな、いい人なんだが、実力があるばっかりに自信家なんだ。さっきのお前みたいにワルジャークに直接突っ走っていくかもしれない。確実に連れてきてくれ」
「なるほどね…わかった」
「それからな、トムテっていう若(わけ)え衆がいるだろ。お前も世話になった、俺の舎弟だ」
「ああ、トムテ。竜だよね。世話になったよ、うん」
「あいつも今、頭の骨を折っちまってな。故郷のネシ湖の竜医のところに、治療に行ってるんだ」
「竜医?」
「竜医。・・・竜骨っていうのは厄介でな、同じ種族の竜医の技術じゃねえと治せねえそうだ」
「へえ…。ああ、そうだねレックスさん、トムテも治ったら戦力になるね。確かにすごいよ、あの竜は」
「だろ? だからケンヤ、お前が連れて来てくれ」
「オレが?」
「そうだ」
「自分で帰ってこれるんじゃないの?」
「あいつの両親から連絡が来てな、もううちの子はあんな怖いところにはやりませんって言うんだ」
「あちゃー…」
「でもな、世界を守るためにはな、いるだろう、あの竜が」
「まあ…そうだね」
「よし、だから連れて来い。手段は問わねえ」
「…手段は問わねえって…。それにロンドロンドから見てネシ湖は北だけど、ストーンベンチは南だよね。両反対じゃん」
「ええと、ストーンベンチの方が近(ちけ)えけど、遺跡はやっかいだからな。ネシ湖でトムテの機動力を確保してから遺跡に行った方が効率いいはずだ。安全のためチームは分かれねえ方がいい。
いいな。俺はこの怪我だからまだ無理だ。俺は世界のため、ここで治療に専念する」
「はあ…。うん。わかったよレックスさん。
…確かに…戦力は多いほうがいいね」
「すまねえなケンヤ。
こないだ聖騎士がふたり、死んだだろ。
もう…あんなことがあっちゃなんねえんだ。
お前は、面倒かも知れねえ。手っ取り早くいきてえ気持ちもわかる。俺もそういう性格だからわかる。
でもよお、小さくても細けえことでも、コツコツ積み重ねてさ、確実に行こうじゃねえか。
俺もさ、大事な人を失って、それから、また大事な人が出来て、やっとそういうふうに思えるようになったんだ」
「また出来た大事な人って?」
「こないだ死んだユクシさんっていう…尊敬してた聖騎士にな、三歳のガキがいたんだよ。ペックっていう男のガキなんだ。…そいつは…、俺のガキにしたんだ。ほら、あそこで門番のマリザベスさんと遊んでるだろ」
レックスが窓から指を差した。
窓の外。神殿の門で、小さい男の子…ペックが、門番のおばちゃんと一緒にヨーヨーをして遊んでいるのが見える。三歳でヨーヨーが上手に出来るなんて、なかなかだ。
男の子は、あのとき殺されていた聖騎士の一人と同じ、赤い髪をしていた。
「そっか…」
ケンヤは無邪気にヨーヨーを操るペックを見て、その少年が成長して立派な青年になる未来が見えたような気がした。
「…レックスさん。ひとりで暮らすのと、家族で暮らすってのは、やっぱ全然違う?」
「家族か…。へへっ、まあな。いいもんだな。俺も、心を入れ替えてもうすこしまっとうにやんなきゃな」
そう言って少し微笑むレックスの顔に、ケンヤは、父親の顔を見た。そして自分の父を重ねた。
レックスの言うとおり、もうあんなことがあってはならない。
「レックスさん、オレ、しっかり連れて来るから」
「よし、じゃあ朝飯かきこんで、そこの空間神ソレインヴァステスさんの神棚拝んでから、行って来い。ガンマとアルシャにはもう話は着けたからな。…姫はつれてっちゃ駄目だぞ? 当然だが」
「連れてきたいなあ…」
「駄目だからな。駄目駄目。まったくとんでもねえなクソガキは」
「ちぇー…」
◆ ◆ ◆
ロンドロンドの一日が始まる。
クーモズ川に朝陽が照らされている。
パワーブリッジでは、通勤に通学に観光に、多くの通行人や馬車や自転車や獣などが行きかっていた。
みんな笑顔で、青いタイルを踏んでゆく。
すると、ピロリロリーン、ピロリロリーン、と回復の音色が響き渡る。
ロヴィンポーク大伯爵が、翼で妙に太い柱についたドアを少し開けて、箱のビスケットと、暖かい缶のミルクティーを差し入れると、柱が返事をした。
ピロリロリーン!
スタンプカード配布の準備を始めながら、ロヴィンポーク大伯爵は、柱と一緒に、行き交う人々を見た。
「決して最高の朝というわけではないですが、それでも、そう悪い朝でもないですねえ」
ピロリロリーン!
「この国は陥落してしまいましたが、この都に絶望する民はいないんです。それが、我らがふるさと、ロンドロンドなのですね。
絶望しないということは、現実から目を背けるということではありません。それでも明日を切り開こうという覚悟なのです。
…絶望しないこの都に、そして旅立つ冒険者達に、ゼプティムの一〇八の神々の加護があらんことを願いましょう…」
ピロリロリーン!
ピロリロリーン!
◆ ◆ ◆
野道。一月。
ヨウセイツツミの花なんか咲いて。
遠くで鐘の音、お城が遠ざかる。
〈ロンドロンドまで三キロナメトル〉。
バカッツラに造られた、ギョロ目の鳥型の看板を後にして、通り過ぎる。
ケンヤ、ガンマ、アルシャーナ。
少年ふたり。少女がひとり。
三人の「蒼いそよ風」が、参宮ロンドロンド街道を吹いていた。
「きょーうも たーびして だーんだーんだーん
あーるいて あーるいて やーなかーんじーっ
かーんじを おーぼえて れーんしゅーちょー」
「あれ? アーナ、それちょっと歌詞変わった?」
「うん、二番!」
「二番!」
「にばんにばん!」
「…あれ?」
遠くから、小鳥を一匹引き連れた、女の子が駆けてくる。
「…わたくしも連れてってくださーい…!」
「あっ…」
「いいのかな」
「ええんちゃう?」
「まあ、強いなんてもんじゃないよ、あの戦力は」
「だよね」
風は、ネシ湖へと向かった。
《つづく》
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