#12 ディンキャッスルのライト
ロンドロンドにて、ケンヤたちがレルリラ姫をさらったディルガインを猛然と追跡していた、その頃。
とあるところでは、薫りが漂っていた。
いももん、
いももん。
なんだろう。ここはなにやらイモをふかしたような薫りがする。
ここはウイングラード本島の西、ルンドラ島の中心地・ルンドラの街。
この街に、ウイングラード領であるルンドラ歴代領主の居城があった。
鋼鉄の黒壁で被われた異様な城は「ディンキャッスル」と呼ばれた。
かつて「砕帝王」ワルジャークはこのディンキャッスルを拠点にウイングラードやエウロピアを支配し、ロンドロンド城で処刑された。
そして現ルンドラ領主・ディルガインは、自らの身を魔王とし、この城にそのかつてのルンドラの「英雄」・ワルジャークを迎えた。
ワルジャークは、この城の端にある「ディンキャッスル領主特務塔」を拠点として、ディルガインたち「ワルジャークの四本足」のウイングラードへのクーデター計画をゆるやかに進行させていた。
つまりはルンドラの領政は、領主ディルガインを配下に従える存在・ワルジャークに支配されていたのだった。
しかし、このことをルンドラの民たちは知らなかった。
ルンドラの民たちは、いつものようにジャガイモを作り、そのほとんどが島外に安価で輸出されていくことによる飢えと悪政を愚痴っていた。
領主ディルガインは、ルンドラの貧民たちの困窮はロンドロンド王宮の圧政によるものだと喧伝した。
このことに対する民からの声は、割れていた。
「ルンドラはやはりロンドロンド王宮の支配から独立すべきだ」と息巻く者もいたが、「この困窮は、ルンドラ議会を思いのままにする領主の悪政によるものではないか」と言う者もいた。
ただ、民たちの中には、真相を知る者はなかった。
ジャガイモは、輸出されてはいなかったのだ。
そしてここは、イモの薫りがする。
いももん、
いももん。
この真実が明かされるのはもう少し先の話だ。
★ ★ ★
その、ディンキャッスルの地下には巨大な秘密の迷宮があり、
その一画にある一室には、
少年が、飼われていた。
少年は、拭かれていた。
「…ライト様…お湯かげんは…いかがでちゅたか…?」
少年の濡れた身体にタオルをすべらせながら、少女が聞いた。
濃黄色の濡れ髪をかきわけ、ライトと呼ばれたその少年は答えた。
「ありがとうイグザード。お湯かげんかい? 四二度だったよ」
「…ありがたいでちゅー…」
イグザードと呼ばれたメイドの少女は、ネズミ色の毛髪から飛び出す、ネズミの耳をぴこぴこさせながらライト少年の肌に残る水分を念入りに拭いた。
くるくるとライトの体をタオルが滑ってゆく。
「イグザード、なんで拭かれるときは…なんだか照れるのかな?」
イグザードと呼ばれた少女はすこし頬を染めつつ
「恥ずかしいということは、誇りがあるからでちゅ。それこそがライト様の狼星王としての資質なんでちゅよ」
と、笑顔を投げた。
「ライト様、きっと人類をみなごろちにしましょうね、でちゅ。全裸で」
イグザードは、タオルを洗濯かごに入れながら言った。
「皆殺しねえ。ワルジャーク様は人類を服従させるって言ってたけど?」
と、ライトが聞いた。
「どちみち服従しなかったらみなごろちでちゅよ」
「そうなのかな」
「そうでちゅよ。みなごろちでちゅ!全裸ででちゅ!」
「いや全裸にはならないから」
「いまはなってまちゅけどね」
「はいはい、流星装身!!」
ライトの身体を黄金に輝く鎧が包んだ。
「魔力(フォース)を感じる…。ワルジャーク様と、レウが帰ってきたようだ。お帰りなさいを言ってくるよ。留守を頼む。イグザード」
「夕飯はどうちまちゅか?」
「夕飯時には食べられるさ」
「全裸はどうちまちゅか?」
「鎧の中にしまわれたさ」
そうして少年と少女は、笑みを交わした。
ライトはイグザードを残して自室を出た。
地下のひんやりした空気が、風呂上がりでほてった身体に心地よい。
イグザードの作る夕飯は美味しいからな。夕飯はなんだろな…。
そんな考えをくるくると巡らせながら、暗い螺旋階段をくるくると、ひとりライトは登っていった。
長く暗く細い螺旋階段を半分ほど登ったあたりで
「それ」は、ライトに語りかけた。
「あなたはまだこんな井の中にくすぶっておるのですか?
ライティング殿…」
暗い螺旋(らせん)を静かにこだまする声。
低くしわがれてはいるが、はっきりと聞きとれる老人の男声だ。
ライトは驚くこともなく返答していた。
「また君か…。ネオガーザム…」
ネオガーザムと呼ばれたその男は、
姿をみせることもなく、闇に老声を響かせた。
「あなたはこんなところで閉じ込められておるべき存在ではありませぬぞ」
「そんなの、僕の好きさ。
…僕が欲しいなら、こんな暗いところでセコセコ入れ知恵してないで、まずワルジャーク様を通してくれ」
「まず第一に、あなたの意思が必要なのです。
我々にはワルジャーク殿を立てたいという敬意もある。
ワルジャーク殿があなたを失うことに納得するには、あなた自身の意思というのは極めて必要な要素のひとつなのですぞ」
「じゃあ無理だよネオガーザム。僕は、ここの子なんだから。ワルジャーク様が望まないことはしないさ」
「たわけな…。なんとたわけたことを…。ライティング殿。ワルジャーク殿はあなたの父親でも母親でもないのですぞ」
「チチオヤ?ハハオヤ?」
「ええ。親ではないのだから、あなたは別にここの子でもない…」
「オヤ?…オヤって…?」
ライトは、「親」という言葉を生まれて初めて聞いた。
「のほほほほほ…ライティング殿、あなたはその言葉の意味すら知らされずに育てられてきたのですか…」
「え…」
「それならそれで、その言葉は知らなくてよいでしょう。
気になるなら考えておくのですな、ライティング殿。
魔界宮はいつでもあなたを迎える用意がある…。
よい返事が聞けたら、いいものをあげましょう…」
「待てネオガーザム…僕はまだ、僕が行くべきだという”理由”にも納得していないぞ!」
「何度も言ったはず。あなたは、強いからです」
「それだけじゃないだろう!僕はまだ弱い!」
「のほほ…それも、あなたはいつか自分で気付くことが出来るはずですぞ…。では…」
声は消えた。
声のこだまが消えたあと、静寂がわんわんとこだましている感覚に入れ代わった。
無音のこだまが、ライトの神経を逆なでしてゆく。
ワルジャーク様はやはり…僕に…なにかを隠しているのか…。
「うわあああああああう!!!!」
ゾウン!!
気付くと無意識にライトは叫び、魔剣を呼び出して無人の空中を切り裂いていた。
ワルジャーク様が自分に様々な隠し事をしながら自分を育てて来たということは、なんとなく感じてきていた。
しかし…しかしッ!
それが何だというのだ!
自分は生まれてずっとワルジャーク様の配下だ。
レウとヒュペリオンとディルガインは同僚だ。
イグザードはメイドだ。兵は兵だ。
自分にはそれ以外の関係は存在しない。
オヤとか、チチオヤとか、ハハオヤとか、言葉の意味はわからないが、何らかの人間関係を示す言葉のようだ。
それが、何を表す関係なのかは知らないが、
自分にはそれが存在しないなら、自分には、必要ない。
必要ないなら、知る必要もない。
知らないことを知りたいとは思う。
しかしそれを知るべきでないとワルジャーク様が考えるのなら、それは、知るまい。
それはきっと、必要ない。
ゴミ箱に捨ててくれたものを、わざわざあさることはないのだ。
気になったとしても、気にしないほうがいいのだ。
「ちくしょう…!」
空中に先程の斬撃が残した放熱を置いて、ライトは何かが弾けたように螺旋階段をやみくもに駆け登り、秘密扉から領主特務塔の内部に抜けていった。
だだだだだ、「あいた!」
倉庫や台所の廊下をやみくもに走ったので、ライトは、なにかに足の小指をぶつけた。
冷蔵庫だった。
★ ★ ★
「冷蔵庫っス!冷蔵庫を持て!冷蔵庫をこれへ!」
ディンキャッスルに、白狐帝レウの叫びが響いた。
「はっ!冷蔵庫!はっ!」
「はっ!冷蔵庫!はっ!」
あわててルンドラ兵たちが散ってゆく。
しかしそこでその兵たちの群れが叫んだ。
「おお!ライト様だ!おお!」
「おお!冷蔵庫だ!おお!」
「おお!ライト様と冷蔵庫だ!おお!」
「おお!ライ庫様と冷蔵トだ!おお!」
「逆だ!」
「逆だ!」
腕組みをし、頭頂部に冷蔵庫を乗せ、狼星王ライトが登場した。
「いまライ庫様って言った兵は誰?」
ライトの質問に若き兵が返答した。
「はっ!私です!はっ!」
「チーズ買ってきて!」
「はっ!チーズ!はっ!」
レウも横槍を入れた。
「じゃああぶらあげもついでっス。お前らも全員あぶらあげとチーズ買ってくるっス!」
「はっ!あぶらあげ!はっ!」
「はっ!あぶらあげとチーズ!はっ!」
「はっ!チぶらーズ!はっ!」
無表情で兵たちは走り去った。
「チーズってネズミのエサ?」
シーザーシールドを脱ぎ捨てながら、レウがライトをからかった。
新人メイド・イグザードのことを言っているのである。
「おみやげだよ。エサとか言うなよ。結構かわいいんだよ、あの子」
「聞いたっスか?ワルジャークさん。ライトがマセガキになってきたっス」
砕帝王将ワルジャークは
「フッ…ネズミの働きは問題はないか?ライト」
とライトに聞いた。
ライトは冷蔵庫を下ろし、ワルジャークに一礼して、
「お帰りなさいませワルジャーク様。…はい。
くるくるととてもよく働きかわいいですよ」
と言った。
レウは、冷蔵庫の魔力炉に一文字魔法を点して冷却魔動器を起動させ、エンジバラ議員たちを封じたあぶらあげを放り込んだ。
「ライト、この冷蔵庫に封印をかけることって出来る?誰かに教わった?」
「こないだ教科書にあったよ」
「やってみ。コツを教えたげるよ」
レウの教えを受けながら、ライトはレウの目が泣き腫らしたあとのようになっていることに気付いた。
そのあと負傷したレウの肩肌がライトの視界に飛び込んできた。
しかし、レウのコスチュームがすこし露出が高いこともあり、ライトはレウの身体から目のやり場をずらした。
これ以上、マセガキだとバレたくない。
その自覚はあるのだ。
ライトが、傍らに置かれたシーザーシールドの魔力炉に示されるフォースゲージの数値を覗くと、搭載魔力(フォース)量は半分以下の減退を示していた。
ライトは冷蔵庫の封印を進めながら、尋ねた。
「いったい何と戦ってきたんだい?レウ」
しかしそこでワルジャークが口を挟んだ。
「そんなことより魔法数学の宿題はやったのか?ライト。問題集五冊、明日が期限だぞ」
「では…戻ります」
知りたいことを知らされない。
このことを改めてライトは受け入れようとした。
冷蔵庫の封印完了を確認し、ワルジャークに再度一礼し、それからマントをふわりと翻し、ライトは退室した。
そのライトの背中に、レウが励ました。
「あとでチーズ持って見にいくからな」
「ありがとうレウ」
やはり…ワルジャーク様はいつも僕に何かを隠している…。
ライトは苛立ったが、しかしそれはやはり知るべきではないのだと思い込もうと努力した。
赤虎臣ヒュペリオンや黒獅将ディルガインがどこに行ったのかも知りたかったが、聞けなかった。
螺旋階段をくるくると降りながら、ライトはなんだかやりきれない気持ちを押さえ込もうとしていた。
しかしやはり思うのだった。
満たされない、と。
(レウがチーズを持って自室に来たら聞いてみよう…)
二階の窓から空をのぞいた。
窓の桟の端に、野鳥の巣が作られている。
中をみると小鳥が死んでいる。
(食事を与えるべき主人を失ったのか…。
配下として、主人の戦力になる前に死ぬのは無念だろうな。この小鳥も…)
そう、ライトは思った。
それが、「親」という言葉を教えられず、純粋に「魔王の配下」として育てられた少年の感覚だった。
ネオガーザムは僕を「強い」と言った。
だが、違う。
僕はまだワルジャーク様に、まったく戦力として見られていない。
この鳥のように飛び立てないまま終わるのは…ごめんだ!
何が出来る。
そうだ。一秒でも早く、五冊の魔法数学の問題集を仕上げることだ。あんな簡単なものは、レウがチーズを持ってくる頃には終わらせるくらいじゃないと。
そして、ライトが全速力で駆け降りる音が、螺旋階段をぐるぐる回ってこだました。
★ ★ ★
一方、冷蔵庫も、回っていた。
レウが仕掛けた封印強度検査魔法の魔法エネルギーの球体の中を、空中に浮かぶ冷蔵庫が斜めにくるくる回っていた。
「『あの子』は、恐るべき子っス」
レウは、封印強度検査魔法の解呪をあとまわしにして、ワルジャークの身体に掌を這わせ、ワルジャークにダメージが残っていないか念入りに確かめながら、そう呟いた。
「フッ」
と笑って、ワルジャークはレウの頭をぽんと撫でた。
「ライトめ。見事な封印だな。こんなもの、本人以外だれも解けまい」
「ワルジャークさんは解けないんスか?」
「知らないのか?レウ。この砕帝王将ワルジャークは、破壊しか出来ない男だ」
「…えへへ…」
「だから…四本足が必要なのだよ。レウ」
「じゃあなぜ、あの子に役割を与えないんスか?」
「下界(ドカニアルド)ごとき、あの子の出るべき舞台ではない…」
「…!…」
「いや…下界(ドカニアルド)制覇が簡単なことだとは言わん。
だが、レウとヒュペリオンとディルガイン、そして私がいれば、ワルジャロンドの下界(ドカニアルド)制覇は、成る」
「そっか…そうっスね。あの子は凄まじく強いけど、まだ子供。身体が完成してからデビューしても遅くはないか…」
そこでワルジャークは話題を変えた。
「そういや、報告がないな…ディルガインめ…」
レルリラ姫をさらうよう命じた男からまだ連絡がない。
「あ……そういや…遅いっすね…」
「いや、遅いのは別に構わんのだよ、レウ」
「?」
「私はディルガインに、蒼いそよ風をロンドロンドから引き離すために、なるべく長く追い掛けっこをしてもらうことを望んだから、姫をさらわせたのだ」
「なるほど…では、引き離されたあとは…」
「改めて、『ワルジャロンド』建国だ」
「なるほど」
「…ではレウ。では、お前の役割は何だ?」
と、ワルジャークがレウに問い掛けると、レウの狐の耳と尻尾がぴんと立った。
「はっ。見てくるっス」
「レウ、ひとつ厳命する。私が先程望んだのは、ディルガインが姫をさらうということだけだ」
「つまり…まだブルーファルコンは深追いするな、ということっスか?ワルジャークさん」
「判断するのだな」
「はっ…」
レウは、少し不満そうな表情で返事をした。
ブルーファルコンは地上を滅ぼす存在だからか…。とレウは推測した。
しかしレウは、ブルーファルコンという単語を聞いただけで、血液が沸騰するような怒りを思い出していた。
レウのキツネ耳の筋肉が、怒りで躍動しているような感覚である。
レウは再び、鎧…シーザーシールドを纏った。
ワルジャークはそんなレウの猛るキツネ耳の動きを見て、静かに諭した。
「レウ。その鎧に込められた、わが師・邪雷王シーザーハルトの想いは、私の誇りでもある」
「はっ…」
だからこそ、引けないのだ。レウはそう思った。
レウは、戸棚の壺から、ドゥークデモアーのエメラルドによって機能を増幅させた「天翔樹の葉」を数枚取り出した。
「では、行ってくるっス」
レウの投げた「天翔樹の葉」が白く変わり、ふわりふわりと床に落ちた。
ワルジャークは、ひとりそれを確認すると、
「さて…準備するか…」
と、呟いた。
その夜。
ライトの部屋に、チーズは届かなかった。
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